「東大寺学園中学校・高等学校」の版間の差分

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| colspan=2 align="center" style="border-style: solid none solid; background: #f0f0f0"|'''東大寺学園中学校・高等学校'''
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{{全国高等学校クイズ選手権|6|1986}}
 
'''東大寺学園'''は[[奈良県]][[奈良市]]に所在す比較的新興の私立[[中高一貫校]]当初設立者勤労青年を対象とした夜間[[高]]だったが、法人東大寺学園。[[1963年東大寺]](昭和38年)に[[全日制]]課程新設母体と現校名に改称、[[19771926年]]を最後に[[定時制5月4日]]課程を休止し全日制のみとなるに開校された
 
東大寺学園中学校の前身は[[1947年]]設立の青々中学校。東大寺学園高等学校の前身は、[[1926年]]に設立の金鐘中等学校。この旧制金鐘中学は[[1948年]]に金鐘高等学校に名称変更し、定時制高等学校となるが、[[1963年]]の学校法人東大寺学園設置に伴い、東大寺学園高等学校定時制に名称を変更。[[全日制]]課程を新設し現校名に改称、[[1977年]]を最後に[[定時制]]課程を休止し全日制のみとなった。
奈良県の北の端、[[高の原駅]]が最寄駅であるが、徒歩20分程度を要する。通学時間帯のみ、奈良交通バスが運行されるが、多くの生徒は歩いて通っている。隣の[[平城駅]]から通学する生徒も少なからずいるが、やはり徒歩20分程度を要する。平城駅を利用するのは、主に近鉄奈良線(生駒・難波方面)から来て、隣の[[大和西大寺駅]]で乗り換える生徒のようである。大和西大寺駅から平城駅までは約10分なので、大和西大寺駅から歩くと約30分で到着できる。
 
[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の「[[全国高等学校クイズ選手権]]」で最多の出場回数を記録している(2006年時点で15回)。
 
==概要==
かつては仏教式寺子屋指導で規律が厳しい時代もあったが、現在では校則はあるものの自由な校風を特徴とする。生徒手帳が無く、代わりに生徒証という三つ折の紙がある。仏教校である特徴として、入学式・卒業式の際に東大寺の僧が挨拶に来ること、旧校舎時代は登校時に大仏殿に向かって一礼する慣習があったことなどが挙げられる。当初校舎は東大寺境内(南大門の横)にあり、狭く運動場も借用だったが(日本一狭い中高、と自嘲する教師もいたという)、校舎を移転し解消された。また、奈良県は元々公立志向の強い土地柄であることや、当校の出自が夜であったこともあり不人気な時代も続いたが、近年では奈良県でも一定の人気を得るようになった。
 
東大寺系列の学園であることから、生徒証を見せることで大仏殿を無料拝観することが可能。
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===文化祭===
毎年9月には生徒の手で「菁々祭(せいせいさい)」という文化祭が催される(通例第2週の土日)。恒例企画に「Mr.美少女コンテスト(美女コン)」なるものがあり、参加希望生徒が女装してパフォーマンスを行う。<!--以前はOBの講演会が催され、映画監督の[[高橋伴明]]や[[京大]][[医学部]]出身[[プロボクサー]]の[[川島実]]、[[外務省]]の某氏が招かれていた。--> ほか室内楽部の定期演奏会、教師による[[体験授業]]、[[保護者]]によるお茶会などがある。
 
===体育祭===
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国公立大学への進学者が多い。
東京大学合格者数は20人前後、京都大学合格者数は70人前後と比較的安定している。
 
==交通==
*[[近畿日本鉄道|近鉄]][[近鉄京都線|京都線]] [[高の原駅]]・[[平城駅]]
 
==沿革==
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===同窓会===
以上のような歴史があるため「東大寺学園高校(全日制)」の同窓会は「青々中学校」と合同であり、名称は「同窓会菁々」。1回生~13回生は青々中学校OBで構成、14回生以後は東大寺学園高校OBで構成、というかたちになっている。2005年3月卒業生が53回生であり、会員数は約7500名。「同窓会菁々」以外に「金鐘中等学校」-「東大寺学園高校(定時制)」のラインの同窓会(約1500名)もあり、別に構成されている。
 
==歴代校長==
*初代 [[清水公照]]  - 東大寺の僧で、書道教師。あだ名は「ネギぼうず」。「旧制中学のような新制中学」を求める市民運動に関わっていた。その運動でできた青々中学校(現東大寺学園中学校)の初代校長に就任。能筆家で掛け軸などが結構出まわっている。207代・208代東大寺別当。兵庫県姫路市の出身。
*2代 [[上司海雲]]  - 東大寺の僧で、書道教師。志賀直哉の門人で文学者。杉本健吉・須田剋太ら芸術家との交流が深かった。206代東大寺別当。
*3代 矢鋪大治郎 - 生え抜きの数学教師。
*4代 次田吉治  - 生え抜きの理科教師。
*5代 西岡淑雄  - 日本英学史学会名誉会員。
*6代 田中良夫  - 奈良県立奈良高校校長から招聘。
*7代 新藤晋海  - 東大寺の僧。現在地への校舎移転時の理事長。216代東大寺別当。日本ユニセフ協会奈良県支部設立発起人。
*8代 牧野英三  - 奈良教育大学名誉教授。研究家であると同時に作曲家でもある。
*9代 山田哲夫  - 奈良県立奈良高校校長から招聘。
*10代 森本晧昭 - どこかの校長から招聘。
*11代 田中満夫 - 副校長から昇格。昔は大阪の公立の校長だった。生徒が十分な準備をした上で授業に臨めるようショートホームルーム(8:30~8:40)なるものを作った。毎朝8時25分ぐらいから転心殿前でとくに遅刻生徒と挨拶をしている。 (学校記事には本来校長についての記事は必要ではない)
 
==著名な出身者==
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===東大寺学園高校===
全日制高校が昭和38年に開設され、その後昭和41年以降の卒業生を記す。
*[[白浜一良]] - [[参議院議員]]3期目。[[公明党]]幹事長代理、[[公明党]]関西方面議参院会長。昭和41年東大寺学園高校卒業
*[[俵本正章]] - [[読売新聞]]大阪本社記事審査委員 昭和41年東大寺学園高校卒業
*[[矢和多忠一]] - [[奈良県]][[教育長]]、[[学びんピック]]委員 昭和41年東大寺学園高校卒業
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[[Category:日本の仏教系中学校|とうたいしかくえん]]
[[Category:日本の仏教系高等学校|とうたいしかくえん]]
 
[[en:Todaiji Gakuen]]
[[en:Todaiji_Gakuen]]