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幕末期の[[越後長岡藩の家臣団|長岡藩家老]]牧野頼母(図書)の庶子であったが同藩の[[越後長岡藩の家臣団#根岸氏|根岸四郎右衛門(足軽頭250石)]]に養子入りした。
 
藩主[[牧野忠恭]]より同藩士小野田伊織とともに江戸で剣術稽古を命じられ、[[文久]]3年([[1863年]])春に江戸の神道無念流[[練兵館]]で館主[[弥九郎龍善]](2(2代目) 斎藤弥九郎)に師事した(同門に[[桂小五郎]]など維新期の志士もいた)。翌年には師範代となり、[[慶応]]元年([[1865年]])に[[免許皆伝]]を允可された。
 
帰国後、[[北越戦争]]で銃士隊長として従軍し重傷を負ったが回復。戦後に神道無念流の流派を弥九郎龍善より継いで東京神田西小川町に[[有信館]]道場を開き、また[[宮内省]]済寧館で師範を務めた。
 
[[大日本武徳会]]剣術形、大日本帝国剣道形(今の[[日本剣道形]])制定で委員・主査筆頭をそれぞれ務めるなど、戦前の近代日本[[剣道]]確立に尽力した。<ref>月刊『剣道日本』(スキージャーナル社刊)1985年12月号52頁</ref>