「ノート:国家神道」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Memosa (会話 | 投稿記録)
神祇官 (会話 | 投稿記録)
42行目:
 
「中傷」とは「無実のことを言って他人の名誉を傷つけること」(『広辞苑』)です。[[利用者:神祇官|神祇官]]さんは自らの「利用者ページ」で「某県で神職をやっています」と明言しているので、「神道信者」であることは明白です。「信者」である神祇官さんが「コメントアウトの理由をきちんと記さなかった」ことに非があります。履歴を見ると、神祇官さんは、「[[人間宣言]]」の引用を削除したり、リンクを「新日本建設に関する詔書」に改変したり、他にもかなり大胆な削除・改変を行っています。神祇官さんは「国家神道」を否定的に捉える記述を自分の主観によって排除し続けてきました。「信者」である神祇官さんが「国家神道は聖戦・英霊・顕彰だ、というのは極論過ぎると思」うのはもっともだと思いますが、ならば菱木論を否定する研究をご紹介下さい。神祇官さんの個人的な研究・信仰の立場から削除・改稿を行うのは非中立的です。「内務省の神社非宗教論を論破する形で菱木説が存在している」ので、小項目名も「非宗教説・宗教説と教義」となっているのではありませんか?--[[利用者:Memosa|Memosa]] 2007年8月26日 (日) 14:08 (UTC)
 
:コメントアウトの復活に関して、編集内容の要約を「神道信者による」と書き始める理由が見あたりません。
::>「信者」である神祇官さんが「コメントアウトの理由をきちんと記さなかった」ことに非があります。
:理由を記さなかったことに関しては「作為」と取られても仕方無い為、これは私のミスです。しかし、私が利用者ページで表明している内容と問題の記述に相関性があるかどうかは、明白と思われてもそれを実証することは不可能(絶対間違いない予想)である以上、「神道信者による」と特筆して「思想・信条に都合の悪い部分を消した」と周囲に印象づける必要性はあったのでしょうか?この点で私は「半ば中傷」と考えました。
*[[人間宣言]]に関してですが、詔書として発せられたものを通称、或いは解釈して「人間宣言」としているのが実際では無いでしょうか。私は両論併記となるよう、詔書としての性格と一般的な解釈を併記しましたが、どうしても「人間宣言」である点を前面に押し出さなければダメでしょうか?
*菱木論を極論とする観点は私自身のものであったとしましょう。しかし、最新版(コメントアウトから復活された)菱木論の掲載に関しては「比較宗教学や文化人類学の成果」としつつも、国家神道の教義に関して、どの様な現象をどの様な手法で抽出したのか触れられていません。内容の如何は別として、菱木論がどの様な論理で構成されているか少しも触れられないまま、その結論だけ「国家神道は聖戦・英霊・顕彰だ」と書き出すのは、論理的な記述ではなく単なる国家神道の印象づけになってしまうのではないでしょうか?この点からコメントアウトを実施し、両論併記となるように菱木氏のチョークの例えは削除せず、神社非宗教論と並ぶようにしました。
:それなりに気を払ってやってるつもりですが、それでも意図的な編集によって「国家神道を否定的に捉える記述を自分の主観によって排除し続けてき」たと言われてしまうのでしょうか。--[[利用者:神祇官|神祇官]] 2007年8月27日 (月) 09:46 (UTC)
ページ「国家神道」に戻る。