「エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子)」の版間の差分

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[[1845年]][[9月21日]]、ハノーファー王[[ゲオルク5世 (ハノーファー王)|ゲオルク5世]](当時王太子)とその妃であった[[ザクセン=アルテンブルク公国|ザクセン=アルテンブルク]]公[[ヨーゼフ (ザクセン=アルテンブルク公)|ヨーゼフ]]の娘[[マリー・フォン・ザクセン=アルテンブルク (1818-1907)|マリー]]の間に第二子として[[ハノーファー]]で生まれた。
 
[[1851年]]に父が即位すると王太子に立てられた。[[1866年]]に[[普仏戦争]]が起こるとハノーファー王国は[[オーストリア帝国]]方につき、エルンスト・アウグストも参戦したが、オーストリアの敗戦でハノーファーは[[プロイセン王国]]に併合されてゲオルク5世は廃位され、エルンスト・アウグストも王太子の身分を失った。[[1878年]]に父ゲルク5世が歿すると、彼は名目的な国王「'''エルンスト・アウグスト2世'''」となった。
 
[[1884年]]、[[ブラウンシュヴァイク公国|ブラウンシュヴァイク]]公[[ヴィルヘルム (ブラウンシュヴァイク公)|ヴィルヘルム]]が死去した。[[ヴェルフェン家]]の遠戚にあたるためエルンスト・アウグストはブラウンシュヴァイク公位の継承権を主張したが、帝国議会はブラウンシュヴァイク公を空位とし、公国には[[摂政]]が置かれた。[[1913年]]、交渉の結果エルンスト・アウグストは公位継承権を放棄し、息子の[[エルンスト・アウグスト (ブラウンシュヴァイク公)|エルンスト・アウグスト]]が[[ドイツ帝国|ドイツ]]皇帝[[ヴィルヘルム2世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム2世]]の王女[[ヴィクトリア・ルイーゼ・フォン・プロイセン|ヴィクトリア・ルイーゼ]]と結婚してブラウンシュヴァイク公に即位することとなった。