「テレサ・テン」の版間の差分
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日本ではどちらかというと[[演歌]]歌手のイメージが強いが、実際はかなり幅広いジャンルの歌を歌っており、[[台湾]]や[[香港]]などで出されたアルバムには、演歌やムード歌謡に加えて[[台湾民謡]]や英語の[[ポップス]]、[[J-POP|日本語ポップス]]の[[カバー曲]]なども多数含まれている。外国語にも堪能であり、[[北京語]]に加えて[[台湾語]]、[[広東語]]、[[日本語]]、[[英語]]に堪能で、[[山東語]]、[[マレー語]]、[[フランス語]]などの言葉も話せたと言われる。日本でリリースされた曲は約260曲ほどであるが、中国語でリリースした曲は1000曲を越す。
[[1973年]]に[[香港]]で「日本の[[父]]さん」と呼ばれる
[[1984年]]再来日。レコード会社を
[[1987年]]、住居を香港に移すのと同時に、日本以外での歌手活動を殆ど休止するようになった。[[1990年]]以降はパリに居住。[[中華人民共和国]]の[[北京]]における[[天安門事件]]に対する反対集会にも参加し、亡命した民主化活動家とも交流を持った。[[1990年代]]に日本をはじめとする[[アジア]]各国で二回ほど彼女の死亡説が流れたりもした(一度目は[[1990年]]5~6月に父親の葬儀への欠席をきっかけに病死説が、二度目は翌[[1991年]]4~5月に病死説・暗殺説が流れている。死亡説に対してはそれを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた)。1980年代後半以降のテレサは演歌・[[ムード歌謡]]というよりも[[J-POP]]寄りで、[[ASKA]]や[[桑田圭祐]]、[[ZARD]]の[[坂井泉水]]らの曲も歌っているため、必ずしも演歌歌手とはいえない部分が多い。日本での最後のテレビ出演は、[[1994年]]11月に放送された[[日本放送協会|NHK]]『歌謡チャリティーコンサート』([[仙台市]]にて公開録画)だった。
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