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== 歴史 ==
ホーフ郡の地域は、[[16世紀]]まで主に[[ブランデンブルク辺境伯バイロイト侯領|ブランデンブルク]][[バイロイト]][[辺境伯]]の領土に属していた。[[1792年]]に[[プロイセン王国]]領となり、その後[[フランス]]領に移された。[[1810年]]、郡域は最終的に[[バイエルン王国]]領となった。[[1812年]]にホーフ、ミュンヒベルク、ナイラ、レーハウおよびゼルプに地方裁判所(Landgericht)が設けられた。ホーフ市は、独立都市となった。行政管理区(Verwaltungsbezirk)および司法管理区(Gerichtsbezirk)はマイン郡(-kreis)とされたが、[[1817年]]からはオーバーマイン郡、[[1838年]]からはオーバーフランケン郡とその名称を変えた。[[1852年]]には行政自治体(Distriktgemeinde)としてのホーフが設立された。
 
[[1862年]]に、ホーフ地方裁判所管区からホーフ管区庁(bezirukamt)、ミュンヒベルク地方裁判所管区からミュンヒベルク管区庁、ナイラ地方裁判所管区からナイラ管区庁、ゼルプおよびレーハウの両地方裁判所管区からレーハウ管区庁が設けられた。レーハウ管区庁は、[[1879年]]と[[1880年]]にいくつかの町をホーフ管区庁に譲渡し、縮小された。[[1919年]]にはゼルプ市がゼルプ管区庁から分離され、独立都市となった。[[1929年]]と[[1931年]]に、ナイラ管区庁は廃止されたトイシュニッツ管区庁から、ミュンヒベルク管区庁は廃止されたベルネック管区庁から、それぞれいくつかの町を受け容れた。
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=== 交通 ===
バイエルン王国は[[1848年]]すでにルートヴィヒ南北鉄道を[[バイエルン]]および[[クルムバッハ]]を経由して[[ホーフ]]まで敷設しており、さらにザクセンとの国境まで延長していた。
 
南部地域への接続は、まず[[1865年]]にホーフ=エーガー鉄道が建設され、次いでバイエルン国立鉄道が[[1877年]]に[[マルクトレドヴィッツ]]までの直通路線を開通させた。