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| latin=Wonjong
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'''元宗'''(げんそう、[[1221年]]- - [[1274年]]、)は第24代[[高麗]]王(在位:[[1259年]]- - [[1274年]])は[[高麗]]の第24代[[国王]]。
[[皇太子]]のときに高麗が[[モンゴル帝国|モンゴル]]に服属したため、[[人質]]としてモンゴルに赴くことになるが、[[1259年]]に父の[[高宗 (高麗王)|高宗]]とモンゴル皇帝であった[[モンケ]]が死去したため、帰国して即位した。その後、帝位争いの末に即位した[[クビライ]]に臣従して、国王の権力強化と親モンゴル政策を採る。
ところが、この親モンゴル政策に重臣はこぞって反発し、一時、元宗は一時廃位されかけたが(([[王淐]]参照))、モンゴルの力を借りて重臣たちの排除を図る。[[1270年]]には反モンゴルの姿勢をとるゲリラ集団・[[三別抄]]の解散を図ったが、逆に三別抄は王の弱腰政策に怒り、高麗に対してまで反乱を起こさせることとなった。さらにはモンゴルから[[元寇|日本遠征]]の大規模負担を負わされて国民に重税を強いることとなるなど、失政を続けた。
1274年、[[文永の役]]直前に病死した。
{{先代次代|[[高麗王]]|第24代: 1259:1259年 - 1274年|[[高宗 (高麗王)|高宗]]|[[忠烈王_(高麗王)|忠烈王]]}}
[[Category{{DEFAULTSORT:高麗王|けんそう]]}}
[[Category:1221年生|うおんしよん高麗王]]
[[Category:12741221年没|うおんしよん生]]
[[Category:1274年没]]
[[en:Wonjong of Goryeo]]
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