「李昭皇」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
'''李昭皇'''('''りしょうこう'''、'''Lý Chiêu Hoàng'''
1224年、父の恵宗が[[陳守度]]によって皇位を廃されると、その後釜としてわずか7歳で擁立されることとなった。翌1225年、陳守度の政略によって、父の恵宗は自殺に追い込まれ、陳守度の甥に当たる太宗と結婚することを余儀なくされる。こうして皇位を夫に禅譲することを余儀なくされ
そして李昭皇も[[1237年]]、太宗との間にいつまでたっても実子が生まれないことを理由に離別させられてしまった。
{{DEFAULTSORT:りしようこう}}
▲そして李昭皇も[[1237年]]、太宗との間にいつまでたっても実子が生まれないことを理由に離別させられてしまった。なお、太宗はその後、陳守度の策動で自分の兄である[[陳柳]]に嫁いでいた李昭皇の姉である順天を強引に離婚させ、皇后として迎えている。
[[Category:ベトナムの皇帝]]
[[Category:
[[Category:1218年生
[[Category:1278年没
[[vi:Lý Chiêu Hoàng]]
|