「カンタベリー大司教」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m編集の要約なし
5行目:
[[タルソスのテオドルス]](669~690年)によって、イングランドの司教区はカンタベリー大司教座を中心に組織された。最初は[[ベネディクト会]]の教会として建立されたが、[[16世紀]]半ばに修道院は解散させられ、以降は[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の離婚問題が引き金となって創立された[[イギリス国教会]]の総本山となる。
 
[[カンタベリー大主教の一覧|歴代カンタベリー大司教]]の中では、「スコラ哲学の父」と称される[[アンセルムス]]、1170年に国王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]との不和が原因で大聖堂内で暗殺された[[トマス・ベケット]]、[[リチャード1世 (イングランド王)|リチャード1世]]の[[大法官]]を兼任して遠征で不在の国王に代わって政務を執った[[ヒューバード・ウォルター]]、[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]に抗して刑死した[[トマス・クランマー]]が有名である。
 
== 関連項目 ==