「ジョルジュ・ギヌメール」の版間の差分

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1917年6月6日、後のドイツ2位のエースであるエルンスト・ウーデット機と1対1の戦いを繰り広げたが、ウーデット機の機関銃が故障したのを見て、ギンヌメールは手を引いた。この出来事は映画「華麗なる飛行機野郎」でも語られるシーンがある。
常に連合国トップエースであった彼にはすでに与えられる勲章もなくなり、戦死をおそれた軍部は再三後方勤務を薦めたが軍人である父に「全力を尽くしていないのなら何もしないのと同じです」ときっぱり断った。
1917年9月11日朝、部下を引き連れ上空のドイツ機に突撃したがさらに上空に多数のドイツ機があり、部下が見た最後の姿だった。その直後皮肉にも墓場に墜落、ドイツ軍によ死亡が確認されたがイギリス軍による砲撃で遺体を運び出せず、砲撃後は何もかもが消えていた。このことからフランスでは「ギヌメールはあまりにも高く飛びすぎて降りてこれなくなった」と語られている。
ギヌメールはプライドが高く気性の激しい性格で正面攻撃を得意とし、撃墜数54機は連合軍トップエースで人気者だった。
冷静沈着な精密機械と評されたルネ・フォンク(最終的には彼が連合軍トップエースでギヌメール戦死の知らせを聞くと仇討ちに出撃、その日撃墜した機体が偶然にもギヌメールを撃墜した機体だった)も撃墜数は超えても人気を超える事はできなかった。