「アート・ペッパー」の版間の差分

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生涯を通じて麻薬中毒によりしばしば音楽活動が中断されている。1960年代後半を、ペッパーは薬物中毒者のためのリハビリテーション施設シナノン([[:en:Synanon]])ですごした。1974年には音楽活動に復帰し、ふたたび精力的にライブやレコーディングをおこなった。
 
1977年に初の日本公演をおこなう。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動した様子が、3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」(1980年)に記されている。それがきっかけなのか親日家であり、1980年には[[石黒ケイ]]の「アドリブ」に参加した
 
==ディスコグラフィー==