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'''田北鑑生'''(たきたあきなり)(?)-[[永禄]]4年([[1561]])戦国武将 大友氏家臣 父は[[田北親員]] [[田北鑑重]] [[田北鎮周]]の兄。 また田原親賢と宗麟正妻(奈多婦人)の伯父。
 
大友義鑑の側近として仕える。佐伯惟治の討伐に父に従ってに参加。[[天文]]三年(1534)大内軍が豊後に進行。大将は陶興房と杉重信率いる三千騎あまり。これに対し大友軍は本隊として吉弘氏直と寒田親政を大将として二千八百騎を送った。陶興房は休まず進軍し、奇襲をかけて大友の大将二人を討ち取ってしまう。これに別働隊として千人あまりを率いていた田北鑑生は敗れた本体を収容して疲れていた大内軍に突撃した。