「ミンダウガス2世」の版間の差分

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母を通して、ヴィルヘルムはモナコ大公継承位を持つ外戚の一人であった。ヴィルヘルムの従兄アルベール1世には一人息子[[ルイ2世 (モナコ大公)|ルイ]]がいるのみで、ルイは正式な結婚もせず嫡出子もなかった。[[グリマルディ家]]の血を引く男子以外の継承を認めない[[フランス]]は、[[ドイツ人]]の公爵がモナコの支配者となることを良しとしなかった。フランスの圧力を受けたモナコは、ルイの庶子シャルロットを後継とする法を1911年に成立させ、シャルロットを祖父アルベール1世と1918年に養子縁組させた。
 
1913年、ヴィルヘルムは[[アルバニア]]候補として名前が挙がった。彼は[[カトリック]]支持者に支援されていた。1914年、選出されたのはヴィルヘルム・ツト公ヴィート([[ーマニア]]王妃[[エリサベタ (ーマニア王妃)|エリサベタ]]の甥)だった。
 
1918年7月4日、リトアニア評議会は、新たに独立したリトアニアの王としてヴィルヘルムを招聘することを評決した。ヴィルヘルムはこれを7月11日に受諾し、ミンダウカス2世を名乗ることとなった。彼が選ばれるにあたって、以下の点が重要視された。