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'''ジャン・シャルル・ガリサール[あるいはガリナール]・ド・マリニャック'''('''Jean Charles Galissard de Marignac'''もしくは、'''Jean Charles Galinard de Marignac'''、 [[1817年]][[4月24日]] - [[1894年]][[4月15日]])は[[スイス]]の[[化学者]]である。希土類元素[[イッテルビウム]]を1878年に、[[ガドリニウム]]を1880年に発見した。多くの元素の原子量の精密な決定を行った。
 
[[ジュネーヴ]]に生まれ、16歳でパリの[[エコール・ポリテクニーク]]に入学し1837年から1839年までエコール・デ・ミーヌ(国立鉱山学校)に学んだ。1840年に[[ギーセン]]の[[ユストゥス・フォン・リービッヒ|リービッヒ]]の研究室に学び、一時[[セーヴル焼|セーブル磁器]]工場で働いた後、1841年に[[ジュネー大学]]の化学の教授となった。後に[[鉱物学]]も教えた。
 
[[希土類元素]]の発見や、多数の元素の[[原子量]]の精密な決定に業績を残した。原子量の希土類元素は非常によく似ていていて、一緒に産出するため、その分離は困難であって多くの化学者とともに苦心して分離していった。原子量の算出は、すべての元素の原子量は水素の原子量の整数倍になるという[[プラウトの仮説]]の検証するもので、[[ベルギー]]の[[ジャン・セルヴェ・スタ]]同様プラウトの仮説は成立しないことを示した。また[[タンタル]]の化合物と[[ニオブ]]の化合物を分離してそれらが同一の元素でないことを示した。