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'''カール・ヴェルスバッハ'''(カール・オーア・フォン・ヴェルスバッハ、'''Carl Auer von Welsbach'''、[[1858年]][[9月9日]] -[[1929年]][[4月8日]])は[[オーストリア]]の[[化学者]]、[[発明家]]である。科学的研究の才能だけでなく、商業的に成功した製品を発明した。化学者としての功績は[[1885年]]に希土類元素の[[プラセオジム]]、[[ネオジム]]を発見した。
 
[[ウィーン]]に、[[オーストリア・ハンガリー帝国]]の印刷局の役人の息子として生まれた。軍務についた後、[[ウィーン大学]]で数学、化学、物理学、熱力学を学んだ。1880年からハイデルベルグ大学で、[[ローベルト・ブンゼン]]のもとで化学を学んだ。ウィーン大学にもどり無給の助手になり、希土類元素の研究を行った。
 
1885年に自ら考案した装置でプラセオジム、ネオジムを分離した。
 
1886年にガスマントルを発明し特許を得た。[[ガス灯]]に金属化合物をふくませた綿をかぶせることによって、明るさを増すもので、始め[[マグネシウム]]と[[ランタン]]の化合物を使用した時は成功しなかったが、1890年に[[トリウム]]と[[セリウム]]を用いて白色の明るい光を得ることに成功し、ガスマントルはヨーロッパ中に広がった。
 
さらにガスマントルの改良するために、金属ワイヤを使う発明を行い、最初はプラチナワイヤを使ったが、[[オスミウム]]のワイヤの製造方法を発明した。この技術は電球の[[フィラメント]]の製造法に発展し、従来のカーボンフィラメントに比べて電球の明るさ、耐久性の大幅な向上をもたらした。
 
1903年にはセリウム70%[[鉄]]30%の[[合金]]の発火石の特許を取得し1907年''Treibacher Chemische Werke GesmbH''を設立した。
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その後再び学問の世界に戻り、化学、分光学の研究を行った。
 
[[categoryCategory:化学者|うえるすはつは|かる]]
 
[[de:Carl Auer von Welsbach]]
[[en:Carl Auer von Welsbach]]