「マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン」の版間の差分

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[[スペイン]]王[[フェリペ3世 (スペイン王)|フェリペ3世]]と王妃[[マルガレーテ・フォン・エスターライヒ (スペイン王妃)|マルガリータ]]の次女。姉に[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]妃アナ([[アンヌ・ドートリッシュ]])、兄に[[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]、弟は[[枢機卿]]フェルナンド。
 
1620年代、[[イングランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]は、マリアを王太子チャールズ(のちの[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]])の花嫁に迎えたいと考えた。早速[[マドリード]]へチャールズを送り込み求婚させるが、チャールズ自身の堅物な性格と、寵臣[[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|バッキンガム公]]の不遜な態度が災いし、婚約に至らなかった。
 
マリアは1631年、母方の従兄フェルディナント大公と結婚し、6子を生んだ。