「夏侯嬰」の版間の差分

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また、彼は連座制で罪人として処刑されそうになった貧しい役人の[[韓信]]の器量を見抜き、[[国士]]として推挙した人物の一人である。
 
[[彭城の戦い]]で敗北した際に、夏侯嬰は劉邦と劉邦が連れてきた息子の[[劉盈]](恵帝)と娘の[[魯元公主]]と共に逃げるが、追っ手に追いつかれると恐怖した劉邦により劉盈と魯元公主を馬車から突き落とす。夏侯嬰は二人を拾い上げたので、劉邦は怒って夏侯嬰を斬ろうとしたが、夏侯嬰が劉邦を諭したことにより結局劉邦は劉盈と魯元公主と共に味方陣営へ逃げ帰ることが出来た。これにより、劉一門からの信任が篤くなった。その功績で'''昭平侯'''に封じられた。
 
===元勲として===