「フランツ・シャルク」の版間の差分

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<br/>後にシャルクがブルックナーの一般普及を目差し改変した版が知られている。19世紀末期はブルックナーの音楽に対する拒絶反応が強く更に認知度も低く曲自体が冗長過ぎるとの批判を受けていたため、スコアを短縮や[[編曲]]したものを公刊(シャルク版)した。現代においてシャルク版は、原典版を無視した改悪との批判を受けている。
 
[[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]、[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツルト]]、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]、[[フランツ・シューベルト|シューベルト]]、[[リヒャルト・シュトラウス]]等の作品の演奏を得意とした反面、[[イーゴリ・ストラヴィンスキー|ストラヴィンスキー]]等の[[現代音楽]]は不得意で観客の評判も芳しくなかったと伝えられている。
 
シャルクは、リヒャルト・シュトラウスと共に[[ウィーン国立歌劇場|ヴィーン国立歌劇場]]総監督を務めたが、両者の性格は水と油ほど異なり、やがて犬猿の間柄から喧嘩別れの様にしてシュトラウスが去っていたと伝えられている。