「二期会」の版間の差分

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[[1949年]]12月(翌年1月説もあり)にはクラブ活動的存在ではあったが「オペラ研究部」が発足、その部長には[[テノール]]の[[柴田睦陸]]が就任した。
 
オペラ研究部としての最初の対外活動は、[[1951年]]11月27日より[[日比谷公会堂]]で芸術祭参加公演として行った、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]『[[ファウストの劫罰]]』である(訳詩上演。なお同曲はベルリオーズによって「劇的物語」と題されており必ずしもオペラ形式での上演は主流ではないが、研究部は2公演を演奏会形式、9公演を舞台上演として演奏した[[NHKラジオ]]による録音放送も行われた。
 
この公演の余勢を駆る形で、[[三宅春惠]]([[ソプラノ]])、[[川崎靜子]]([[メゾソプラノ]])、柴田睦陸・[[中山悌一]]([[バリトン]])を中心としたメンバーは'''二期会'''を結成し本格的なオペラ公演活動を開始することになる。なお「二期会」とは、それまでの先人たちのオペラ活動を第1期であるとみなし、自らが第2期の中心となろうとの気概を込めた命名であるという。
 
二期会としての正式の旗揚公演は1952年2月25日から28日にかけて日比谷公会堂で行った[[ジャコモ・プッチーニ|プッチーニ]]『[[ラ・ボエーム]]』(訳詩上演)であった。管弦楽は[[東京交響楽団]]、指揮は[[マンフレート・グルリット]]であった。
 
組織としての「任意団体・二期会」は2005年9月末をもって解散、主要活動は財団法人・東京二期会として再出発しており、その他地方で活動する「[[関西二期会]]」、「北海道二期会」、「名古屋二期会」、「中国二期会」、「四国二期会」も別個に存在する。
 
<!--== 関連項目 ==
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* [[ファイアーエムブレム]]
 
== 参考文献 ==
*増井敬二(著)昭和音大オペラ研究所(編)「日本オペラ史~1952」水曜社(ISBN 4-88065-114-1)
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== 外部リンク ==
*[http://www.nikikai.net/index.html 二期会公式HP]
 
[[Category:オペラ歌劇団|にきかい]]
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