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'''ロバート・メリフィールド'''(Robert Bruce Merrifield,[[1921年]][[7月15日]]-[[2006年]][[5月14日]])は[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]][[フォートワース]]出身の[[化学者]]。[[1984年]]の[[ノーベル化学賞]]受賞者として有名。
 
生まれてまもなくの[[1923年]]、一家と共に[[カリフォルニア]]に移った。いくつもの学校を転々とした後、[[1939年]]にモンテベッロ高校を卒業した。その中で彼は[[化学]]と[[天文学]]の両方への好奇心を膨らませていった。その2年後、パサデナジュニアカレッジに入学、その後[[カリフォルニア大学ロサンゼルス校]]へ移る。卒業後はフィリップ・R・パーク研究基金で動物の群れに関する研究や[[アミノ酸]]ダイエットの研究を行った。
 
カリフォルニア大学ロサンゼルス校へ戻り、生化学のM.S.ダン教授の下で[[ピリミジン]]の定量法について研究を行った。[[1949年]][[7月19日]]に結婚。その後[[ニューヨーク]]のロックフェラー医療研究所で勤務する。さらにその後[[ロックフェラー大学]]へ移って研究を続けた。[[1959年]]に固相を用いた[[メリフィールド法|ペプチド合成法]]を思いつき、研究を行って[[1963年]]にジャーナル・オブ・アメリカン・ケミカル・ソサエティーに発表。その後は研究室で[[ペプチド]]の合成を行い、[[ブラジキニン]]や[[アンギオテンシン]]、[[インスリン]]等を世界で初めて作り出すことに成功した。これは[[医学]]、[[薬学]]並びに[[生化学]]に大きな影響を与え、[[酵素]]や[[ホルモン]]などを合成することができるようになった。[[1969年]]、[[アルバート・ラスカー基礎医学研究賞]]を受賞。[[1993年]]に自伝を発表した。[[ニュージャージー州]][[クレスキル]]で没。