「フランチェスコ2世・デステ」の版間の差分

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2歳で公位を継承し、信心深く厳格な母ラウラが1674年まで摂政を務めたが、実質は母の[[イエズス会]]告解師ガリンベルティ神父の影響下にあった。ラウラがマリーアを連れて結婚のためイングランドへ渡ると、フランチェスコは14歳にして実権を掌握し、従兄チェーザレ・イグナツィオとその仲間から自由となった。ラウラは帰国後、宮廷から引退した。フランチェスコの外交政策は、1688年に[[名誉革命]]で国を追われた[[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェームズ2世]]一家を保護していた[[フランス]]王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の要求に左右された。しかし彼はフランスが公国に口出しをすると抵抗した。
 
1692年、マルゲリータ・ファルネーゼと結婚。しかし子供はなく、1694年に亡くなった。彼のあとを継いだのは、父アルフォンソ4世の異母弟で、聖職についていた[[リナルド3世・デステ|リナルド]]だった。
 
彼は少年の頃から[[ヴァイオリン]]を習い、音楽のパトロンとなった。彼の書斎がほぼ完全なかたちでエステンセ書庫館の中に保存されている。
 
{{先代次代|[[フェラーラとモデナの君主一覧|モデナ公]]|[[1662年]] - [[1694年]]|[[アルフォンソ4世・デステ]]|[[リナルド3世・デステ]]}}
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[[Category:モデナ公]]