「嵐小六 (3代目)」の版間の差分

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[[嵐三右衛門 (5代目)|5代目嵐三右衛門]]の子。岩次郎から初代[[嵐雛助]]と改名。「雛助」の名は、父が二代目市川団十郎から譲られた俳名から付けたとされる。1752(宝暦2)年大阪三枡座『名古屋織雛鶴錦』で初舞台を踏み、このときの所作事が大好評となるなど華々しいデビューを飾る。以後は順調に活躍。1787(天明6)年叶雛助と改名。1793(寛政5)年11月大阪浅尾文吉座『太平記忠臣講釈』で3代目嵐小六を襲名。同時に長男の中村十蔵に2代目の雛助を継がせる。所作に優れ、多くの役をこなしたが、肥満体で上品な芸であったので公家悪や天下をねらう謀反人を得意とし、『天満宮菜種御供』の藤原時平、『釜淵双級巴』の石川五右衛門などが生涯の当たり役であった。特に時平の演出は、一見善人を装いながら最後に大悪人の本性を見せ高笑いするという近代的なもので、『時平の七笑』として、今日に伝わっている。「小六玉」の愛称で人気を集め、三都随一無類と評されたが稽古中に舞台で倒れる。
子に[[嵐雛助 (2代目)|2代目 嵐雛助]]・[[嵐小六 (4代目)|4代目嵐小六]]・[[嵐雛助 (3代目)|3代目 嵐雛助]]・[[嵐小六 (5代目)|5代目嵐小六]]が、門人には[[嵐三右衛門 (6代目)|6代目]]・[[嵐三右衛門 (7代目)|7代目嵐三右衛門]]など後継者に恵まれ上方の歌舞伎界で一大勢力を誇った。
 
== エピソード ==