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自分の安全を図るための手段とその工夫を学びつつ、[[点字]]などを中心に[[幼稚園]]、[[小学校]]、[[中学校]]、[[高等学校]]に準じた[[教育]]を受ける。
2007年度から導入された特別支援施行の[[学校教育法]]改正により、「○○盲学校」から「○○・養護学校とともに[[特別支援学校」へ]]の一部門校名が変更されなっ地域がある
 
 
==盲学校の歴史==
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==盲学校の普通科教育==
 
小学部から高等部においては、普通校の小学校から高等学校と同じ内容の[[国語]]、[[数学]]([[算数]])、[[理科]]、[[社会]]、[[英語]]、[[技術・家庭]]、[[体育]]、[[音楽]]、[[美術]]といった[[教科]]も教えられるが、それぞれに視覚障害を克服したり、伸ばすことの出来る能力を発展させるよう、教える工夫がなされる。[[理科]]では、授業の中で化学実験をはじめとする実験観察がおこなわれ、理系大学への進学者もいる。体育でも障害の特性に応じた工夫がなされている。例えば、[[健常者]]がおこなう[[バレーボール|バレー]]は、視覚障害者ではフロアバレーボールと呼ばれ、健常者のようにボールを打ち上げるのではなくネットの下をくぐらせる方法でプレイする。ゲームでは弱視者の後衛3人と全盲生(またはアイマスクをつけた人)の前衛3人によって行い、後衛が前衛に声で指示しながらプレイするなど、内容的にかなりの創意工夫がなされている。盲学校などの特殊学校(2007<ref>2007年4月よりは[[特別支援学校]]</ref>では、自立活動という教科が障害の特性に応じて設置されている。盲学校では自立活動の時間に生徒の障害の特性や程度に応じて、点字の指導、白杖歩行の訓練、弱視者への拡大読書器などの障害補償機器の指導、卒業後の生活自立へ向けての生活訓練などをおこなっている。
 
==盲学校の職業教育==
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日本では数百年の永きに亙って、盲人の職業として、鍼と按摩が受け継がれてきた。鍼・按摩は、学問といよりも職人的な技芸であるため、戦前は徒弟制度によって術者が養成されていた。
 
しかし戦後、「あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師・柔道整復師等に冠する法律」が施行され、はり師、マッサージ師として就業するためには、2年<ref>現在は3年</ref>の専門教育と国家試験が課せられるようになったため、これに対応する形で、職業課程の「理療科」が設置された。
 
理療科は、高卒後3年で、鍼灸マッサージ師の国家試験受験資格を得る専攻科理療科と、あん摩マッサージ指圧師だけの受験資格を得る保健理療科がある。
 
理療科という名前は、薬物や外科手術でない、物理的な刺激療法という意味であるが、盲学校だけのことばで、また、理学療法士<ref>いわゆるリハビリテーションの技術者</ref>と紛らわしいため、言い換えを求める意見が多い。
 
一部の盲学校には、盲人の伝統的な職業である[[箏曲]]の演奏家等を養成する音楽科、理学療法士を養成する理学療法科が設置されてところがある。
 
==盲学校と寄宿舎==
盲学校が普通学校と一番違うところは、大半の盲学校<ref>横浜市立盲学校、神戸市立盲学校を除く)大半の盲学校。</ref>に[[寄宿舎]]が併設されていることである。盲学校は1都道府県に1,2カ所と少ない場合がほとんどで自宅からの通学が困難な児童生徒が多く、また視覚障害者が十分に訓練を受けないと、[[電車]]や[[バス_(交通機関)|バス]]を乗り継いで通学するのが困難なことによる。盲学校の新入児童生徒には、[[衣服]]の着脱、[[歯磨き]]や[[入浴]]など、日常の所作が十分にできない者も多く、そうしたことを教えるのは寄宿舎の寄宿舎指導員の仕事になっている。
 
== 校名の変更 ==
改正学校教育法が施行された2007年4月に「特別支援学校」と校名を変更した盲学校・聾学校・養護学校は、既存の学校で916校中182校、2007年度に新設された学校で11校中3校にとどまっている。<ref>「学校教育法等の一部を改正する法律を踏まえた盲・聾・養護学校の校名変更状況調査」文部科学省</ref>
 
==盲学校のことが書かれている文芸作品==
 
虹の輪 (遠浜 々著、文芸社)
 
== 脚注・出典 ==
<references />
 
== 関連項目 ==