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[[画像:Jean Bodin.jpg|200px|right|thumb|ジャン・ボダン]]
'''ジャン・ボダン'''('''Jean(Jean Bodin''', [[1530年]] - [[1596年]])は[[フランス]]の[[経済学者]]、[[法学者]]。ボーダンとも表記される。[[弁護士]]
 
== 人物 ==
経済学においては、[[貨幣数量説]]を唱え、[[重商主義]]の先駆者的存在となる。
 
フランス国内を二分した宗教戦争である[[ユグノー戦争]](1562-98年)の時期に著した『国家論』(1576)(1576年)では近代的な主権論を説き、[[中央集権]]国家を理論づけた。また宗教には寛容であるべきと考えた。
 
一方で最も狂信的に[[魔女狩り]]を推奨した事でも知られ、自らも[[裁判官]]([[異端審問]])として多くの無実の人間を[[宗教裁判]]によって殺した。
[[1580年]]刊行の著書、[[悪魔憑き]](デモノマニア)」)』は長く魔女狩りのバイブルとして用いられ、宗教の美名の下、無実の人間を殺害することを助長した。
 
1596年[[ペスト]]で死亡。
 
==関連項目==
*[[主権]]
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{{DEFAULTSORT:ほたん しやん}}
[[categoryCategory:フランスの経済学者]]
[[categoryCategory:フランスの法学者]]
[[Category:政治思想家]]
[[Category:裁判官]]
[[Category:弁護士]]
[[Category:16世紀の学者]]
[[Category:1530年生]]