「ハナ・マンドリコワ」の版間の差分

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[[1978年]]にプロ入りし、その年に[[WTA]]ツアーで2勝を挙げる。[[1980年]]の[[1980年全豪オープンテニス|全豪オープン]]決勝戦で[[ウェンディ・ターンブル]]([[オーストラリア]])を 6-0, 7-5 で破り、4大大会初優勝を飾った。翌[[1981年]]は[[1981年全仏オープンテニス|全仏オープン]]で初優勝を果たし、[[シルビア・ハニカ]](当時[[西ドイツ]])を 6-2, 6-4 で圧倒したが、[[1981年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]決勝で[[クリス・エバート|クリス・エバート・ロイド]]に 2-6, 2-6 で完敗した。[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]は最初、[[1980年全米オープンテニス|1980年]]と[[1982年全米オープンテニス|1982年]]の2度準優勝で止まり、どちらも決勝でエバート・ロイドに敗れていた。
 
[[1985年]]の[[1985年全米オープンテニス|全米オープン]]で、マンドリコワは同大会3度目の決勝進出でついに初優勝を果たし、同国の先輩選手である[[マルチナ・ナブラチロワ]]を 7-6, 1-6, 7-6 で破った。本人の言葉によれば「私は12歳からマルチナの[[ボールパーソン|ボールガール]](球拾い)をやった」ほどの身近な憧れだったが、[[1986年]]の[[1986年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]では5年ぶり2度目の決勝進出で、そのナブラチロワに 6-7, 3-6 で敗れた。[[1987年]]の[[1987年全豪オープンテニス|全豪オープン]]決勝でもナブラチロワと対戦し、マンドリコワが 7-5, 7-6 で勝ち、7年ぶり2度目の全豪優勝で4大大会「4勝目」を飾った。これがマンドリコワの最後の4大大会優勝になる。この年に[[西ドイツ]]の[[シュテフィ・グラフ]]が世界ランキング1位に躍進し、女子テニス界は新たな世代交代期を迎えた。
 
[[1988年]]にマンドリコワは[[オーストラリア]]市民権を取得する。[[1990年]]の[[1990年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]2回戦敗退を最後に、28歳で現役を引退した後、[[チェコ]]の後輩選手である[[ヤナ・ノボトナ]]のコーチを9年間務めた。[[1994年]]に[[国際テニス殿堂]]入りを果たしている。