「宇都宮基綱」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Cprobot (会話 | 投稿記録)
m cprobot: subst Template:生没年
Novo (会話 | 投稿記録)
m dab
1行目:
'''宇都宮 基綱'''('''うつのみや もとつな'''、[[正平]]5年/[[観応]]元年([[1350年]]) - [[天授 (日本)|天授]]6年/[[康暦]]2年[[5月16日 (旧暦)|5月16日]]([[1380年]][[6月19日]]))は[[室町時代]]中期の武将で、[[下野国]]の[[宇都宮氏]]第11代当主。第10代当主[[宇都宮氏綱]]の子。第12代当主[[宇都宮満綱]]の父。妻は[[細川頼元]]の娘。下野守
 
[[宇都宮氏]]は朝廷から代々[[下野国#国司|下野国司]]の職を授かる身分であったが、武士から身を立て[[下野]][[守護]]を務めていた[[小山氏]]が国内で勢力を拡大する動きを見せると、[[国司]]の立場からこれを牽制してきた。[[小山義政]]の代になり、小山氏が台頭する動きをするようになると、基綱は度々これを鎮圧した。しかし、後に義政が宮方と通じ謀反を起こしたとして[[鎌倉公方]][[足利氏満]]にその討伐を命じられ出陣したが、逆に[[裳原の戦い]]で義政に敗れ戦死した。これが[[小山義政の乱]]の発端となる。