「アウグステ・カロリーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の版間の差分

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*パウル(1785年-1852年)
 
結婚後すぐにフリードリヒは妻に対して暴力をふるうようになり、1786年12月に夫妻で[[ロシア帝国|ロシア]]訪問の際、アウグステは女帝[[エカチェリーナ2世]]の私室へ避難したほどだった。エカチェリーナは、フリードリヒがロシア宮廷から去るよう求める手紙を書くよう指示した。これに、皇太子妃[[マリア・フョードロヴナ (パーヴェル1世皇后)|マリア・フョードロヴナ]](フリードリヒの実妹)が兄を援護し抗議した。エカチェリーナは『ヴュルテンベルク公子の不名誉を隠すのは私ではない。』という素っ気ない返事を書いた。
 
アウグステの父は娘にまったく同情せず、娘の離婚の申し立てを拒絶した。この返答のため、エカチェリーナは帝国領であるローデ(現在の[[タリン]]近郊)にアウグステの住まいを提供してやった。アウグステはローデの城で、23歳の若さで死んだ。
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[[Category:ヴェルフ家]]