「桂文治 (5代目)」の版間の差分

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{{Anotheruse|'''5代目'''の「桂文治」|その他の各代|桂文治}}
 
'''5代目''' 文治'''(かつら ぶんじ、[[天保]]2年([[1831年]]逆算)~) - [[1861年万延]]2年[[1月16日 (旧暦)|1月16日]]([[1861年]][[2月15日]]))[[落語家]]。本名通称は尾張屋峯松。実弟に[[蝶花楼馬楽 (2代目)|2代目蝶花楼馬楽]]がいる
 
始めは[[赤坂]][[伝馬町]]に住んでいた尾張屋富右衛門の、初めは清元浅太夫の名で[[清元]]に入門する。その後江戸噺家3代目桂文治(後の[[桂文楽 (初代)|初代桂文楽]])に入門し、桂文太を名乗る。その後、桂文太郎に改名し、[[1851年]][[6月]]頃に師匠文楽から文楽の名を譲られ、[[桂文楽|2代目桂文楽]]を襲名した。[[1861年]]1月に江戸噺家4代目桂文治から文治の名を譲られ、5代目桂文治を襲名するが、同月に死去した。[[享年]]31。出身が清元である事から音曲噺や楽曲噺や四題噺や謎々を得意としていた。また、大声であった事から文楽時代は「大声文楽」と呼ばれた。
 
[[蝶花楼馬楽 (2代目)|2代目蝶花楼馬楽]]は実の弟。
 
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[[category:落語家]]
[[category:1831年]]
[[category:1861年]]