「慎機論」の版間の差分
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という2つの誤認のうえで、憤激のあまり「慎機論」を著した。事実は、中国研究家のモリソンはモリソン号とは関わりなく、幕府の方針はモリソン号が再来した場合は打ち払いの対象とせず、漂流民をオランダ船に託して帰国させるというものだった。
==底本==
崋山は執筆の途中で、内容が不敬にわたることを気遣い筆を断ち、未定稿のまま公開しなかった。それが蛮社の獄の際、幕吏による家宅捜索で発見され、日の目を見ることとなった。写本により伝わるが、もともと「乱稿」なために、決定的な底本がないという。
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==影響==
崋山本人は、蛮社の獄によって自殺においこまれたが、翌[[1840年]]アヘン戦争による中国侵略の衝撃は幕府・諸藩に大恐慌をもたらし以後対外的危機感は飛躍的に高まり、その中で本書は筆写され多くの為政者や知識人に読まれ、また幕末の志士の中にも読者が数多くいた。
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