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当初、ランス・システムは[[1980年代]]中頃に引退する予定だったが、[[1990年]]まで延長された。陸軍省は、核兵器用ランスの保管寿命を[[1995年]]まで延長することを[[1985年]][[6月]]に決定したが、[[1991年]][[9月27日]]に、[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]大統領は単独で[[戦術核兵器]]の削減を発表した。それに続いて同年[[10月5日]]に[[ソビエト連邦]]の[[ミハイル・ゴルバチョフ]]大統領によって同様の発表がなされた。しかしながら、その後まもなくソ連が崩壊したため、後にこの核軍縮合意が再確認され、[[1992年]][[2月1日]]にブッシュ大統領と[[ロシア]]の[[ボリス・エリツィン]]大統領がワシントンで冷戦の終結を宣言した。また、[[1992年]][[5月23日]]にアメリカ合衆国、ロシア、[[ベラルーシ]]、[[カザフスタン]]及び[[ウクライナ]]が条約に調印した。
 
ランスの退役は[[1991年]]から始まり、最後のランス大隊が[[1992年]][[6月30日]]にオクラホマ州フォート・シルで解散たことで完了した。[[1991年]]に通常弾頭のみ搭載可能な新型の[[MGM-140 (ミサイル)|MGM-140 ATACMS]]が使用可能になったため、このような迅速な退役が可能となった。ランスは、[[1986年]][[9月]]からの[[パトリオットミサイル|MIM-104 パトリオット]]のPAC(Patriot Anti-TBM Capacility)システムの標的として既に使用されていたが<ref>{{cite journal|author = 石川潤一|date = 2007-07|title = 空自ペトリオットPAC-3実戦配備|journal = 軍事研究|volume = 42巻|issue = 7号|pages = p.30|id = ISSN 0533-6716}}</ref>、1993会計年度に前記の核軍縮条約に従ってランスは非武装化され、標的としての用途が再設定された。システムに対する責任は、MICOM総合資材管理センター(Integrated Materiel Management Center, IMMC)からWSMDに移され、ランス非武装化プログラムは、[[1995年]][[7月]]に[[スコットランド]]のビショップトンで完了した。余剰となったランス・ミサイルは標的用として保管され、他の運用国における解体費用を回避することとなった。
 
== 各型 ==