「ツール・ド・フランス1967」の版間の差分

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今大会のツールを語る上において、[[イギリス]]の[[トム・シンプソン]]の死に触れないわけにはいくまい。[[1967年]][[7月13日]]の第13ステージにおける出来事である。シンプソンは第9ステージまで、総合首位のパンジョンに5分15秒差の6位につけていたが、翌、第10ステージでは区間優勝の[[フェリーチェ・ジモンディ]]に5分59秒の差をつけられ、総合でも8分20秒差の7位へと後退していた。
 
後にシンプソンの体内から[[アンフェタミン]]と[[アルコール]]に加え、[[利尿薬]]までもが検出されまた、この年の[[プロヴァンス]]地方は特に暑かったことも影響していたようだ。既にシンプソンが精神的に追い詰められていたということは明白である。
 
第13ステージのコースでは、「死の山」と恐れられる[[モン・ヴァントゥ]]が途中にあった。シンプソンは頂上まで残り2kmという地点において、体のバランスを完全に失ってフラフラの状態となり、ついには倒れた。イギリスチームスタッフはシンプソンに棄権するよう説得したがシンプソンは拒否してまた自転車に跨り始めた。だが残り500mという地点でまた倒れ、ついには起き上がれなくなった。