「フェデリコ・バーモンテス」の版間の差分

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そして舞台をアルプスに移した第17ステージにおいて、区間優勝の[[シャルリー・ゴール]]を利して同タイム2位に入り、ついにここでマイヨ・ジョーヌを手に入れた。[[ガリビエ峠]]など標高2000m級の山々が連なる難所の第18ステージにおいても、[[ジャック・アンクティル]]、ゴールらを完璧に押さえ込んでマイヨを死守。アンクティルはこの時点で9分以上の差をつけられ5位、ゴールは21分以上の差をつけられ10位と、両者は完全に総合優勝争いから脱落した。その後アンクティルは懸命に追い上げを見せるものの3位どまり。バーモンテスが単なるクライマーではないという強さを如何なく発揮した大会となった。
 
ツールでは[[1963年]]においても、アンクティルに最後は総合3連覇を許すことにはなるものの、3分35秒差の総合2位に入った。もっともこの年のツールではピレネー超え最終日となる第16ステージで完璧な走りを見せて区間優勝を果たし、一時はアンクティル危うしの声まであったという。アンクティルは1719ステージの個人TTで漸くバーモンテスを振り切ってそのまま総合3連覇を果たした。なお、バーモンテス以外の選手はいずれもアンクティルに10分以上の差をつけられていた。
 
ちなみに他の主要ステージレースにおける総合優勝並びに同ワンデーレースの優勝記録はなく、まさしく、優勝よりもキングオブマウンテンの称号に誇りを感じていたといっても過言ではないようだ。