「リック・ファン・ローイ」の版間の差分
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[[1952年]]のベルギー国内選手権制覇(アマチュア)をひっさげて[[1953年]]にプロへ転向。デビュー年度から毎年、年間20勝以上を挙げたが、[[1959年]]には38勝を挙げ、[[グランツール]]においても[[ブエルタ・ア・エスパーニャ]]ではポイント賞受賞&総合3位、[[ジロ・デ・イタリア]]でも総合4位に食い込むなど、レースキャリアとして最高潮を迎える。
[[1961年]]はバンローイにとって金字塔を打ち立て続けた年度となった。この年、モニュメントとしては取り残していた[[パリ〜ルーベ]]と[[リエージュ
[[1965年]]には年間42勝を挙げ、2度目となるブエルタのポイント賞も受賞。しかしながらこの年を境に次第にバンローイにも陰りが見え始めた。バンローイが衰退基調を迎えた頃に、同胞の[[エディ・メルクス]]が日の出の勢いで勝ち続けるようになったが、バンローイも依然としてクラシックレース制覇を果たしていたことから、ベルギーの第一人者という地位を譲ったというわけではなかった。[[1969年]]の世界選手権前にはどちらをリーダーに据えるかについてベルギーチーム内で揉め、バンローイのほうを選択することになったため、メルクスは「自主欠場」することになったという。
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;世界自転車選手権
:1960,1961
;モニュメント
:[[ミラノ
:[[ロンド・ファン・フラーンデレン]]
:[[パリ〜ルーベ]]
:[[リエージュ
:[[ジロ・ディ・ロンバルディア]]
;その他
:ツール・ド・フランス
:ジロ・デ・イタリア
:ブエルタ・ア・エスパーニャ
:[[ヘント
:[[フレーシュ・ワロンヌ]]
:[[パリ
:ベルギー国内選手権(プロ
:[[6日間レース (自転車競技)|6日間レース]](トラックレース
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