「長野びんずる」の版間の差分

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長野には江戸時代に日本三大[[祇園祭]]として全国的に有名だった'''御祭礼'''があったが、戦争により中止され、終戦後に復活したものの以前ほどの賑わいにはならなかった。そのため、御祭礼を盛り立てる前夜祭として、[[1959年]]企業や商店の広告パレードが企画された。パレードが8年間続いた後、[[1967年]]に「火と水と音楽と若者たち」という若者向けのイベントが開催され、さらにそれを見直す形で[[1971年]]に「長野市民祭」長野びんずるが誕生した。
 
「びんずる」とは、長野市のシンボルである[[善光寺]]に祀られている「[[賓度羅跋囉惰闍|おびんずるさん]]」にちなんだ名称である。
 
== 内容 ==