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'''松平 正容'''(まつだいら まさかた)は、[[江戸時代]]前期の[[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]主。保科松平家第3代。
 
{{武士/開始|松平正容}}
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{{武士/終了}}
 
保科正之の6男として生まれ、兄・保科正経の養嗣子となる。[[天和 (元号日本)|天和]]元年([[1681年]])には兄の隠居に伴い家督を相続。会津藩第3代藩主となる。[[元禄]]9年([[1696年]])、松平姓と葵の紋の永代使用を許され、名実ともに徳川一門として遇される事になる。<br>藩主在職中死去。長男・正邦、三男・正甫が先だって死去したため、[[家督]]は八男・容貞が承継した
 
藩主在職中死去。長男・正邦、三男・正甫が先だって死去したため、[[家督]]は八男・容貞が承継した。
 
== 経歴 ==
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*[[1681年]](天和元年):家督相続
*[[1696年]]([[元禄]]9年):松平姓、葵紋所許さる([[12月9日 (旧暦)|12月9日]])
 
 
==官位位階==