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第2代藩主・[[酒井忠直]]の長男。母は久松[[松平定頼]]の娘。正室は[[島津綱久]]の娘。子に[[酒井忠囿]](長男)、娘・亀姫([[毛利吉就]][[正室]] 長寿院)、娘([[島津惟久]]正室)。官位は[[従四位]]下、[[遠江国|遠江]]守。
 
慶安4年(1651年)2月6日生まれ。幼名は千熊丸。[[天和 (元号日本)|天和]]元年([[1681年]])、[[奏者番]]となる。翌年の父の死去により、[[家督]]を継いで藩主となる。このとき、父の遺言により弟の[[酒井忠稠]]に1万石を分与して、小浜藩の支藩である[[敦賀藩]]を立藩させた。貞享3年(1686年)閏3月21日、小浜で死去。[[享年]]36。後を長男・忠囿が継いだ。
 
法号:高台院殿指厳道徹大居士。墓所:[[福井県]][[小浜市]]男山の空印寺。