「ミキ・ビアシオン」の版間の差分

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WRCを離れた後はイタリアのタイヤメーカー、[[ピレリ]]の開発ドライバーやラリーレイドの[[三菱自動車工業|三菱]]のワークスドライバーとして戦った。
 
[[項目名]][[項目名]]== エピソード==
*[[カルロス・サインツ]]や[[ディディエ・オリオール]]らと並んで、マシンの開発能力には長けており、ランチアがWRCを席巻した活躍は彼の存在なくして出来なかったという声が多い。現に彼とランチア時代を過ごしたオリオールはその開発能力を高く評価していた。
 
*フォード時代の彼の扱いに対して、疑問を抱くものは多かった。フォード時代に共に戦い、ベルギー人ドライバーとして初のWRCトップを快走する活躍をみせた[[ブルーノ・ティリー]]は、”なぜ、ビアジオンともあろう人がこれだけ苦しんでいるのか”という言葉を残している程である。 しかし、彼が開発に携わった[[エスコート・コスワース]]はワークスチームだけに留まらず、他のプライベートチームにもその性能を認められていたことから、20年近くタイトル争いから遠ざかっていたフォード躍進の影の功労者といえるかもしれない。
 
*イタリアでは唯一の世界チャンピオンである彼は特別の存在である。スバルやセアトで活躍したピエロ・リアッティや、三菱で活躍したジャン・ルイジ・ガリは彼に対し、今でも尊敬の念を抱いている。