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'''モニック・ウィティグ''' (Monique Wittig, [[1935年]] - [[2003年]][[1月3日]]) は、 [[フランス文学|フランスの作家]]、[[フェミニズム]]理論家。とくに[[ジェンダー]]の克服に関心を持った。彼女の最初の小説は[[1954年]]に発表された「子供の領分」。2作目「女ゲリラたち」([[1969年]])は [[レズビアン・フェミニズム]]のランドマークとなる。
 
「モニク・ヴィティグ」「ヴィティッグ」とも表記される。
 
==生涯==
モニック・ウィティグは[[1935年]]、 [[フランス]] [[オー=ラン県]]のダンヌマリーに生まれる。「Mouvement de libération des femmes」(MLF)(女性解放運動)の創設者の1人となる。[[1970年]][[8月26日]]、多数の女性たちとともに、無名戦士の妻の名誉のため、 [[エトワール凱旋門|凱旋門]]の下に花束を置く。この象徴的な行動は、[[フレンチ・フェミニズム]]の創立イベントと考えられている。
 
アカデミックな研究にも積極的で、文学の短期プログラムの終了論文により、 [[社会科学高等研究院]]から[[Ph.D.]]を与えられた。
 
==理論==
モニック・ウィティグは「急進的なレズビアン」を自称した。<ref name=independent>{{cite web |url=http://news.independent.co.uk/people/obituaries/article123410.ece |title=Monique Wittig |work=[[The Independent]] |date=[[2003-01-09]] |first=James |last=Kirkup |accessdate=2007-06-08}}</ref>この感覚は、ただ女性ばかりを描写した彼女の本の中にも見受けられる。誤解を招かぬよう、彼女はこう述べている。「私には、女性文学なんてものはありません。そういうのは存在しません。作品を書くとき、私は女性も男性も区別したりしません。意識するとしたら、作家と、それ以外です。文学は性別に限定されないメンタルな領域です。人は自由のための領域をいくつか持つべきで、言語はそれを許してくれます。つまり、性から解放された無性の概念を構築するということです」
 
[[唯物論]]的なフェミニズム理論家。彼女は、[[異性愛]]を政治体制と見なす「女性」神話を否定し、レズビアンが拒否する[[社会契約]]の基礎をアウトライン化しようとした。
:「……それと、レズビアンの仲間が、女性と愛し合う、ともに生きるという言い方は妥当ではありません。なぜなら、『女性』という言葉は、異性愛システムならびに異性愛経済システムの中でのみ意味を持つからです。レズビアンは女性ではないのです」(1978年)
 
ウィティグにとって、「女性」というカテゴリーは、ただ「男性」というカテゴリーとの関連性においてのみ存在し、「男性」との関連がなければ「女性」なるものは存在しえないのである。
 
さらにウィティグは、[[マルクス主義]]の批評的観点にも発展する。マルクス主義はフェミニズム闘争を妨げてはいたが、フェミニズムそれ自体にとっては、その異性愛の[[教義|ドグマ]]を問題としなかった。
 
こうした批評を経て、ウィティグは [[万人救済主義|万人救済主義者]]的立場をとるに至り、個人の向上と欲求の解放が性カテゴリーの廃止を余儀なくさせる、と主張した。
 
==著作==
 
* 映画「ガールズ(The Girl)」(2000年)
: 監督の[[サンド・ジーク]]は、ウィティグの[[ドメスティック・パートナー]]にして協力者。ウィティツグにとって最初の英語で書いた小説は彼女との共著。
 
 
* [http://www.glbtq.com/literature/wittig_m.html Monique Wittig - Biography]
 
{{DEFAULTSORT:ういていつ もにつく}}
[[Category:フランスの小説家]]
[[Category:フェミニスト]]
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