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'''葛山 信貞'''('''かつらやま のぶさだ'''
かづらやま のぶさだ とも
、生年不詳 - [[天正]]10年([[1582年]])3月)は[[戦国大名]]であり、甲斐源氏[[武田氏]]の当主、[[武田信玄]]の六男である。[[駿河国]][[葛山城]]主。
先代である[[葛山氏元]]が病死したため(一説には信玄により殺害)、信玄は[[葛山氏]]の名跡を息子である武田信貞に継がせた。