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'''悪魔の証明'''(あくまのしょうめい)とは、[[立証責任]]の分配を考える際には、原則として、「積極的事実」(ある事実が存在すること)を主張する[[当事者]]に立証責任を課すべきであり、「消極的事実」(ある事実が存在しないこと)を主張する[[当事者]]に立証責任を課すのは妥当でない場合が多いということを比喩的に表現したものである。
 
この表現は、[[ラテン語]]の ''probatio diabolica'' に由来しており、古くは[[中世]][[ヨーロッパ]]において、土地の[[所有権]]の帰属を証明する際に、当該所有権の由来を遡って逐一立証することは不可能であることを指して用いられた。日本の[[民法]]学においても[[物権法]]の分野でそのような意味で現在でも使われている。しかし、それが転用され、[[民事訴訟法]]学者の[[兼子一]]らによって、上記のような消極的事実の立証の困難性を指して比喩的に用いられ、法学者の間では定着る例としていたが使われるに至り、現在ではより広く、証明が極めて困難であること又は不可能であることの比喩として用いられている。
 
== 一般的用法と消極的事実の証明 ==
[[裁判]]においては、ある事実があった(積極的事実)と主張し、それによる自己に権利があると主張する者が、当該事実を証拠により立証する責任(立証責任)を負うのであり、相手方が、その事実がなかった(消極的事実)ことを立証する責任を負わないというのが原則的な古くからの考え方であった(ただし、ローゼンベルクの証明責任論により、現在の民事訴訟法学ではそのような考え方は否定されてい。)
 
なぜなら、「あることの証明」は、特定の「あること」を一例でも提示すればすむが、「ないことの証明」は、厳密には、全ての存在・可能性について「ないこと」を示さねばならない。すなわち、「ないことの証明」は「あることの証明」に比べ、一般に困難である場合が多いからである([[検証と反証の非対称性]])。この「'''ないことの証明'''」('''消極的事実の証明''')について、その立証の困難さから「悪魔の証明」という表現が比喩的に用いられている。
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この語はもともと、[[中世]][[ヨーロッパ]]の[[法学者]]が、「古代[[ローマ法]]において[[所有権]]の帰属を証明することが極めて困難であった」という学説を主張するにあたり、比喩として用いたものである。
 
所有権の帰属を証明するためには、前の所有者から所有権を譲り受けたことの証明を要するとされている。ところが、前の所有者にそもそも所有権が帰属していたことについて争われた場合は、その者がさらに前の所有者から所有権を譲り受けたことの証明が必要になる。さらにその前の所有権が争われた場合はその前の…と、無限後退に陥ってしまう。このようなことから所有権の証明は極めて困難であったと説明するのである。もっとも、これに対しては、所有権の帰属を証明するためには、不法な取得原因が1つも存在しないことを証明しなければならなかったと説明する見解もある。
 
== 関連項目 ==
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{{Wiktionary|悪魔の証明}}
{{科学哲学}}
{{DEFAULTSORT|あくまのしようめい}}
 
[[Category:法学|あくまのしようめい]]
[[Category:哲学|あくまのしようめい]]
[[Category:科学哲学|あくまのしようめい]]
[[Category:論理学|あくまのしようめい]]
[[Category:比喩|あくまのしようめい]]
[[Category:方法論|あくまのしようめい]]
 
[[de:Probatio diabolica]]