「ステファン・ネマニャ (セルビアの大ジュパン)」の版間の差分

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[[1168年]]、兄を殺してセルビア侯として即位する。その後セルビアの諸部族を統一、宗主であった[[東ローマ帝国]]との長い戦いに勝利し、[[1171年]]には独立の君主、セルビア王ステファン1世として即位しネマニッチ朝を開いた。しかし、この時点では「王」は自称であり、国際的には「侯」の扱いを脱しなかった。
 
その後は[[ブルガリア]]の独立を支援するなど、東ローマ帝国と徹底して対立、抗争を繰り広げたが、その一方で[[東方正教会]]を保護するなどもしている。1196年、高齢を理由に退位して[[修道士]]となった(シメオンと改名)。その後は末子ラストコ-[[聖サヴァ]]と共に独立セルビア教会の建設に尽力し、また[[ヒランダル修道院]]を建築するなどしてセルビア文化の発展に尽くした。
 
死後、[[東方正教会]]から列聖され、聖シメオンと呼ばれた。
 
{{先代次代|セルビア君主|1171年 - 1196年|―|[[ステファン初冠王]]}}
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