「マジック・マジャール」の版間の差分

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== 概要 ==
左足の魔術師[[フェレンツ・プスカシュ]]、ヘディングの名手[[コチシュ・シャーンドル|シャーンドル・コチシュ]]など能力の高い選手を揃え、グスタフ・セベシュ監督により時代を先取りした4-2-4[[サッカーのフォーメーMMョン|フォーメーション]]ステムと呼ばれる戦術した(当時はWMフォーメーション(3-2-5)が主流だっチームは、[[1950年]]6月の対ポーランド戦(親善試合)から[[1954年]]6月の[[1954 サッカー・ワールドカップ|ワールドカップスイス大会]]決勝の西ドイツ戦まで、32戦して28勝4分無敗という記録を作った。期間中の1試合平均得点4.5点が示すように、圧倒的な攻撃力が特徴であった。
 
==戦術==
実際にはWM[[フォーメーション]]を用いていたのだが、センターフォワードとインナーが意図的に前後のポジションチェンジを行うことにより、マークのずれとゴール前のスペースを狙って作り出すという戦術である。当時はマンマークが主流であったためポジションチェンジによりディフェンダーが引き出され、相手ディフェンスのフォーメーションは崩壊し、ハンバリー代表は圧倒的な攻撃力を発揮した。このポジションチェンジ後の形がMMの形になっていたためMMシステムと呼ばれ、ハンバリー代表が「マジックマジャール」と呼ばれる所以ともなった。
 
==歴史==