「宿屋の富」の版間の差分

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== 富くじ ==
寺社仏閣修理・改築費用を捻出するため、寺社奉行の許可を得て興行していたのがこの「富くじ」。
<br>単に「富」ともいい、舞台となった『湯島天神』の他にも、「[[椙森]]稲荷」・「谷中[[天王寺 (東京都台東区)|天王寺]]」・「[[瀧泉寺|目黒不動]]境内」などで行われていたそうだ
 
木箱の中央に穴が開いており、そこから錐を突き刺して番号の書かれた札を選び出す事で抽選を行っていた。
<br>妙な小細工を出来ないようにするため、抽選には邪気のない子供を使うことが多かったそうだ。
 
最高額はあらすじにもあるとおり千両。反対に、最低額は一朱(1/16両)だった。
 
ちなみに、千両富に当たると世話役に『当たりは千両だが、すぐ受け取ると二割(二百両)差し引かれる<ref>実際は三割程度は引かれ、二月まで待っても、寄付金名目で一割は差し引かれたようだ。</ref>』と説明されることが多い。
舞台となった『湯島天神』の他にも、「[[椙森]]稲荷」・「谷中[[天王寺 (東京都台東区)|天王寺]]」・「[[瀧泉寺|目黒不動]]境内」などで行われていた。
 
湯島天神、
椙森稲荷、
谷中天王寺、
目黒不動境内
寺社が、修理・改築の費用を捻出するために興行したのが
江戸時代の富くじで、単に「富」ともいいます。
文政年間(1818~30)の最盛期には
江戸中で毎日どこかで富興行があったといいます。
 
 
[[天王寺 (東京都台東区)|天王寺]]
 
千両富はめったになく、五百両富がほとんど
でした。即日受け取ると、実際は二割でなく、
三割程度は引かれ、二月まで待っても、
寄付金名目で一割は差し引かれたようです。
 
 
 
 
 
当たりの最低金額は一朱(1/16両)でした。
「突き富」の別名があるのは、木札が入った箱の
中央の穴から錐で突き刺すからで、
ほとんどの場合、邪気のない子供にさせました。
 
寺社奉行の許可を得て
 
[[文政]]年間(1818~30)の最盛期には江戸中で毎日どこかで富興行があったといいます
 
== 「富くじ」の出てくる落語 ==
*『[[富久]]』:失業した[[幇間]]が、富くじを買ったことから騒動に巻き込まれる。
*『[[御慶_(落語)|御慶]]』:[[八五郎]]が富くじに当たり、ド派手に年始回りをする。
 
[[Category:落語の演目|やとやのとみ]]
 
== 脚注 ==