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ただ日本人俳優は、映画出演の際の契約上、スケジュール的に充分な「役作り」に充てる時間が含まれていない事などから、世界最大の配給規模を誇る[[ハリウッド]]映画に登用された俳優と比較すると大々的な役作りを行わない傾向が見らる。[[西田敏行]]は「役作りをする時間を与えてくれない、契約のなかにそのような時間を与えるという項目がないから。」と日本の映画制度の遅れが一因だと指摘している<ref>[[2006年]][[11月11日]]放送「[[SmaSTATION!!]]」([[テレビ朝日]])</ref>。
 
またこれは全世界的な傾向であり、[[フランス]]・[[デンマーク]]・[[イタリア]]・[[ドイツ]]・[[スペイン]]映画を中心とするいわゆる[[ヨーロッパ|欧州]]映画においては、むしろ俳優本来の個性を重視する傾向が強いほか、[[中華人民共和国|中国]]の商業映画においては、もっぱら監督自らがじっくり出演者に対して演技やメイキングを逐一指導する傾向が見られ、すでに大衆娯楽として確立している[[香港]]映画や[[タイ王国|タイ]]映画、[[ラテンアメリカ|中南米]]映画などにおいては、もっぱら諸俳優の既存の演風を尊重した上でキャスティングが組まれることが多く、また[[韓国]]映画]][[韓国ドラマ|ドラマ]]においては余りの撮影スケジュールの短さから撮影現場における監督の演技差配権が支配して俳優の自主性が抑えられる傾向にあるほか、[[インド]]映画では[[文芸]]・[[哲学]]性作品における監督の全編にわたる影響力と、[[娯楽]]映画における著名芸能人のそのままのキャラクターでの映画出演が好まれる2極化並存するなどの傾向が見受けられる。
 
総じて、過剰な「役作り」は、米・[[ハリウッド]]俳優限定のものであると理解されている。