「ヘタイロイ」の版間の差分

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当時の馬の[[サドル|鞍]]は布や毛皮を敷いただけのもので、その上に[[鐙]]もまだ使用されていなかったため、乗馬には相当の訓練が要求され、射騎戦もたとえ相手が[[スキタイ]]のような騎馬民族の騎兵であってもまったく行われなかった。特に鐙がないために後の中世ヨーロッパの騎士のように人馬一体となった突撃は困難であったが、それでも当時としては騎兵の突撃能力を十分に引き出した部隊であった。
 
一方、単に戦士団としてだけではなく、その語源の一つに「娼婦」の意味の単語があるとする説から、[[男娼]]としての側面も持っていたとする説もあり、実際にアレクサンドロスの軍隊の中には男でも[[貞操帯]]を着用して遠征に参加していた兵士もいたらしい。ただ、当時の価値観ではこの方が軍としての結束が生まれ、指導者に対する忠誠心も養われると考えられていたらしい。大王の遠征の際には家族や従士、奴隷、商人、詩人、学者、神官、さらには娼婦や男娼まで連れて遠征に参加し、その為に'''Companions'''、'''Companion cavalry'''とも言われている。
 
マケドニアには騎兵隊としてもう一つ'''プロドロモス'''と呼ばれる部隊がいたが、これは防具としては兜のみを被った[[軽装騎兵]]の部隊で戦闘よりも哨戒や偵察を主な任務とした。例外的に敵と戦う時にはヘタイロイと同様に騎兵用のサリッサを持って突撃した。