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'''大久保 教業'''('''おおくぼ  のりなり'''、[[文化 (元号)|文化]]5年([[1808年]]) -  - [[天保文政]]13[[8月8日 (旧暦)|8月8日]]([[1830年]]))は、[[相模国|相模]][[荻野山中藩]]の嫡子。2代藩主・[[大久保教孝]]の長男。正室は[[堀直庸]]の娘。幼名は岩丸、通称は帯刀。官位は従五位下・右近将監
 
荻野山中藩嫡子として生まれたが、家督相続以前の天保元文政13年(1830年)に2523歳で早世。代わって、弟の[[大久保教義]]が嫡子となった。
 
法名は慈明院秋岳道諦。
 
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[[Category:大久保氏|のりなり]]
[[Category:1808年生|おおくほのりなり]]
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