「三遊亭圓馬」の版間の差分

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立花家左近時代には、前座時代の[[桂文楽 (8代目)|8代目桂文楽]]を預かって、猛特訓の上鍛え上げた。文楽は完全に圓馬に傾倒し、「舐めろと言われれば、師匠のゲロでも舐めましょう」とまで言い切っている。また、文楽が大阪で仕事があった際には必ず[[天下茶屋]]に在った圓馬宅に立ち寄り、差し向かいで稽古を付けて貰っていたという。
 
得意ネタは『鹿政談』『[[愛宕山 (落語)|愛宕山]]』『[[景清 (落語)|景清]]』など。晩年は[[吉本興業]]に所属し、看板落語家として活躍。演目は東京落語が多かったとされる。晩年は上方落語の衰退により高座を去り、中風を患うなど不遇であった。1945年没。享年65。
 
門下には、4代目三遊亭圓馬、5代目[[立川ぜん馬]]、[[式亭三馬]]、9代目[[朝寝坊むらく]](後の5代目[[柳亭左楽]]門下にで9代目[[柳亭芝楽]])、[[朝寝坊志らく]]などがいる。また[[正岡容]]も。