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古来、神の言葉([[神託]])を得て他の者に伝えることが役割とされていたが、近代に入ってからは神社に於ける女性の奉仕区分として変容した。
[[Image:Ikuta maidens 164201330 e43a91c291 o.jpg|thumb|220px|巫女@[[生田神社]]([[神戸市]][[中央区 (神戸市)|中央区]])]]
== 日本
=== 古代 ===
古代の呪術的な宗教観の元では、その祭祀の形態から神の存在は特定の場所に常在する存在ではなく、神を呼ぶという行為が行われていたと考えられ、自らの身体に神を降ろす、いわゆる神がかり(神霊の[[憑依]])の儀式が行われたとされる。これを掌る女性の登場が巫女の初発と考えられる。古語では[[巫|巫(ふ・かんなぎ)]]と呼称された。なお、男性でその様な祭祀に仕える者は[[巫|覡]]と称された。
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=== 中世・近世 ===
中世以後各地の有力な神社では巫女による[[神楽]]の奉納が恒例となった。神楽も変容し、旧来の神がかり的要素に加えて依頼者の現世利益の祈願を併せて目的としていたとされている。修験者と巫女が結びついて神社に常駐せずに祈祷や鎮魂を請負った、民間習俗の色彩が濃い巫女も現れるようになった。現在でも、祈祷・祈願自体を神楽、あるいは「神楽を上げる」と称する例があるのも、このことが基であると考えられる。[[歌舞伎]]の元である「かぶきおどり」を生み出したとされる[[出雲阿国]](いずものおくに)は[[出雲大社]]の巫女であったという説もあり、古代の呪術的な動作が神事芸能として洗練され、一般芸能として民間に広く伝播していった経過を伺い知る例として捉えられる。<!-- ところが、[[江戸時代]]中期に起こり、後に社会運動化した[[国学]]の中には、。(神霊の憑依などの霊的現象を淫祀邪教として否定的に捉える学説が現れるようになり、そのような民間習俗と結びつきやすい巫女そのものに対しても否定的な動きが出始めた。-->
''梓巫女(あずさみこ)は官の免許を受け、1回50文から100文の料金での[[口寄]]を稼業としていた。芸妓・娼妓と同様の児買いの奴隷で、売り上げは頭領が手にした。風体は異様で、黒塗りの箱を風呂敷に包んで背負い、営業時には箱を自分の前に置いて行う。[[口寄]]の対象が生者(たとえばペットの猫など)の場合は青葉を用い、死者の場合は紙縒(こより)を用いた。両肘を箱につけてあごを支え、数珠を鳴らし、呪文を唱え、半眠の状態で[[口寄]]を行う。箱のなかには土人形の天神、御幣、梓弓が安置してある。近代になって、人身売買に等しいものとして禁止された。'' 秋麓道人(山崎増造)著『神秘術 第1冊』<ref>[http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40004916&VOL_NUM=00001&KOMA=21&ITYPE=0 秋麓道人(山崎増造)著『神秘術 第1冊』尚絅堂1904年(国会図書館・近代デジタルライブラリー)参照]</ref>
=== 近代 ===
[[明治維新]]を迎え、
禁止措置によって神社に常駐せずに民間祈祷を行っていた巫女はほぼ廃業となったが、中には神社、或いは[[教派神道]]に
=== 現代 ===
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==== 本職巫女 ====
基本的には資格が必要とされない為、心身ともに健康な女性ならば巫女になることは可能である。
女性が本職巫女として奉仕できる年数は短く、[[義務教育]]修了後(現実的には[[高等学校]]卒業)から勤務し、20代後半で定年を迎える例が多い。[[短大]]・[[大学]]を卒業してからの奉仕であれば、数年間しか在職しないことになる。定年以降に神社に勤務する場合は、神社指定の制服や松葉色・紺色などの袴を履くなどして服装で区分され、また職掌の上でも神事に奉仕する女性職員を巫女、それ以外の事務作業などを行うのが一般女性職員と区分される事が多い。
尚、[[神楽]]を奉仕、指導する巫女
==== 助勤巫女 ====
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