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'''NHK紅白歌合戦'''(こうはくうたがっせん)[[日本放送協会]](NHK)が毎年[[12月31日]]([[第3回NHK紅白歌合戦|第3回]]までは[[1月3日]])の夜に[[生放送]]する、紅白対抗形式の大型[[歌番組]]である。通称「'''紅白'''」。会場は[[NHKホール]]([[1973年]]から)。[[地上デジタルテレビジョン放送#双方向サービス|デジタル双方向機能]]対応番組。
 
== 放送メディア・時間 ==
*国内向けには[[日本放送協会|NHK]]の[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]]・[[NHK総合テレビジョン|デジタル総合テレビ]]・[[NHK衛星第2テレビジョン|衛星第2テレビ]]・[[NHKデジタル衛星ハイビジョン|デジタル衛星ハイビジョン]]・[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1放送]]で[[放送]]される。このうち、アナログ衛星第2テレビではBモードステレオ放送で、デジタル総合テレビ・デジタル衛星第2テレビ・デジタル衛星ハイビジョンでは[[ステレオ放送|5.1chサラウンドステレオ]]で[[NHKホール]]の臨場感を楽しめる。ラジオ中継では、ステージ上の[[司会者]]よりも会場の熱気を実況する中継アナウンサーがメインである。なお、[[NHK-FM放送|NHK-FM]]では放送されない。
*海外向けには[[NHKワールド・プレミアム]](日本時間で翌1月1日の7:20~11:45(7:20~11:45([[2007年]]の[[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]]は7:15~)7:15~)にも[[再放送]])、および、[[NHKワールド・ラジオ日本]](地域により数時間遅れまたは後半部分のみの放送だが、2007年以降は東南アジア・アジア大陸地域のみの同時放送となる。)で放送される。また、NHK主体ではないが、海外の[[ケーブルテレビ]]を通じて放送されることがある。
*開始時刻は[[1967年]]([[第18回NHK紅白歌合戦|第18回]])以来長らく午後9時(JST21:00(JST、以下同じ)に固定されてきたが、2部制となった[[1989年]]([[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]])から午後7時19:20に繰り上がった。その後、開始時刻は年によって午後7時19:20から午後8時20:00の間で推移している。第2部の開始は午後921時台、特に[[1994年]]以来は午後9時21:30に固定されている。
*終了時刻は[[1962年]]([[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]])以来一貫して午後11時23:45である(総合テレビの場合。放送メディアによって例外もある)。
*第1部と第2部の間の5分間([[第50回NHK紅白歌合戦|第50]]・[[第54回NHK紅白歌合戦|54]]・[[第55回NHK紅白歌合戦|55回]]は10分間)は、その年の最後の[[NHKニュース]]を放送する(ただし、デジタル衛星ハイビジョンは別番組となる)。
*総合テレビ・BS2・BSハイビジョンは[[リアルタイム字幕放送]]を実施(総合テレビ・BS2は中断ニュースも含む)。
 
== 番組内容 ==
*その年を代表する[[アーティスト]]が[[女性]]は紅組(あかぐみ)、[[男性]]は白組に分かれて対抗形式で[[歌]]や[[演奏]]を披露する。
**男女混合グループは、男女の人数に関わらず[[ボーカル|メインボーカル]]の[[性別]]を優先する。例えば[[ELT|Every Little Thing]]や[[DREAMS COME TRUE]]なら紅組、[[サザンオールスターズ]]なら白組([[メンバー]]の[[原由子]]は[[ソロ (音楽)|ソロ]]として出場する際は紅組で出場)である。
**男女の[[デュエット]]は基本的に紅組扱いとなる(例外として[[1978年]]([[第29回NHK紅白歌合戦|第29回]])の[[平尾昌晃]]・[[畑中葉子]]は白組で出場。おそらく、平尾がこのデュエット以前にソロ歌手として白組出場経験があることを考慮したものと思われるまた、[[音楽ユニット|ユニット]]である[[ヒデとロザンナ]]も白組から出場した。
**複数の男女混合ボーカルグループの場合も紅組の可能性が高いと思われるが、場合によっては枠が空いている組に振り入れられると言うこともあるとされる。[[1972年]]の[[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]]に出場した[[青い三角定規]]がその例。
**ソロ歌手同士の男女デュエットや[[コラボレーション]]などの場合は各々がそれぞれの組の出場歌手として出場する。[[1992年]]([[第43回NHK紅白歌合戦|第43回]])の[[堀内孝雄]]と[[桂銀淑]]のデュエットや[[2003年]]([[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]])の[[女子十二楽坊]]と[[錦織健]]、[[森山良子]]・[[BEGIN]]・[[夏川りみ]]のコラボレートなど。
**[[美川憲一]]などのような「[[女装]]した男性」は白組から出場するが、[[2005年]]([[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]])では[[松浦ゴリエ|ゴリエ]]([[ゴリ (お笑い芸人)|ゴリ]])が女装した男性のソロでは初めて紅組で出場した。理由は、実際に歌っているメインボーカルがゴリエ本人ではなく女性([[ジャスミン・アレン]]と[[ジョアン (タレント)|ジョアン]])であるから。逆に、[[和田アキ子]]は「[[m-flo]] loves AKIKO WADA」として白組で登場した。これはメインボーカルのm-floが男性ユニットのためである。
**[[2007年]]([[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]])では[[性同一性障害]]を抱える戸籍上は男性の[[中村中]]が紅組で出場する。
*選ばれる曲は原則としてそのアーティストのその年の[[ヒット曲]]である。ただし、例外も多い。たとえば、[[森進一]]は[[1971年]]のヒット曲「[[おふくろさん]]」を今日まで6回歌っている。[[薬師丸ひろ子]]のヒット曲「[[セーラー服と機関銃 (シングル)|セーラー服と機関銃]]」を紅白で歌ったのは本人ではなく[[桜田淳子]]だった([[1982年]]・[[第33回NHK紅白歌合戦|第33回]])。その回のテーマに沿った歌が選ばれることも多い。
*歌の間には応援合戦や[[アトラクション]]が行われる。かつてはほとんど恒例というべき出し物もあった。
**[[1970年代]]、紅組では若手歌手による[[ラインダンス]]が、白組では[[組体操]]が行われた。
**出場歌手への激励や出場を祝福するための[[電報]]の紹介が行われていたことがあった。特に[[昭和基地]]の[[南極]]観測隊からの電報は恒例行事であった。2005年([[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]])には南極観測隊からのメールが紹介された。
*勝敗はゲスト審査員([[タレント]]・[[スポーツ選手]]・[[著名人]]など)とNHKホールの観客および地上・BSデジタル放送の双方向システムや[[携帯電話]]を利用した[[視聴者]]の投票で決定する。審査方式は回によって異なる。
**過去の対戦成績は白組の29勝28敗である(2006年([[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]])現在)。
**勝敗はトリの後攻である大トリを取った[[チーム]]が有利である。
*優勝チームが決まると「○組 優勝!!」の字幕スーパーが画面いっぱいに出る。また、天井から大量の[[紙吹雪]]がステージに降りそそぎ([[風船]]は入っていない)、放送終了まで続く。
**初期には優勝チームが決まるとステージ中央に吊された[[くす玉]]が割れて、紙吹雪と風船と共に[[紙テープ]]が降った。なお、テレビ番組で初めてくす玉・紙吹雪・風船・紙テープの演出を行ったのがこの番組であり、その後のテレビの演出([[クイズ番組]]等)のさきがけになった{{要出典}}。
*優勝チームの司会者には[[優勝旗]]が手渡される。
*番組のフィナーレは出演者全員で「[[蛍の光]]」を歌うのが恒例である。ただし、[[東京オリンピック]]を翌年に控えた[[1963年]]([[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]])だけは、例外として「[[東京五輪音頭]]」が歌われた。
**[[合唱]]の[[指揮]]は[[藤山一郎]]が[[死去]]する前年の[[1992年]]([[第43回NHK紅白歌合戦|第43回]])まで務めた([[1971年]]の[[第22回NHK紅白歌合戦|第22回]]は[[岩城宏之]]が務めたが、総合指揮者として藤山も出演)。藤山は[[1957年]]([[第8回NHK紅白歌合戦|第8回]])まで歌手として出場した後、[[東京放送管弦楽団]]指揮者として出場しており、番組最多出場記録である。
**藤山の死後の[[1993年]]([[第44回NHK紅白歌合戦|第44回]])~2005年(第56回)まで作曲家の[[宮川泰]]が務めた(宮川は[[1972年]]・[[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]]でもザ・ピーナッツの歌唱の際に指揮をしていた)。
**宮川の死後の[[2006年]]([[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]])は作曲家および歌手の[[平尾昌晃]]が指揮を務めた。
<!--*[[2000年]]([[第51回NHK紅白歌合戦|第51回]])までは紅白終了後の「[[ゆく年くる年]]」が放送されている間、紅白会場では[[カウントダウン]]を行っていたが、翌[[2001年]]([[第52回NHK紅白歌合戦|第52回]])からは「ゆく年くる年」内で放送するようになった。--><!--これは事実ではないのでは? 2006年の「ゆく年くる年」で紅白会場からのカウントダウンはありませんでした。詳しい方に修正をお願いします-->
 
== 出場者の決定 ==
*基本的にその年にヒット曲を出した歌手が出場する。かつては紅白に選ばれることは歌手にとって最高の栄誉であるとされ、現在でも多くの歌手にとってはなお大きな栄誉である。一方、出場を辞退する歌手も少なくなく([[B'z]]、[[松山千春]]、[[小田和正]]、[[宇多田ヒカル]]、[[Mr.Children]]など)、出場経験のある歌手が辞退することもある([[サザンオールスターズ]]、[[松田聖子]]、[[GLAY]]、[[L'Arc〜en〜Ciel]]、[[ゆず (ミュージシャン)|ゆず]]など)。辞退理由は明示されないことが多いが、一般的には内容そのものに魅力を感じないという以外に、拘束時間・出演料などをはじめ希望が通りにくいためと受け取られている。そうした中で以前は「拒否組」であったフォークの大物などの出場が決まるとそのたびに注目が集まる([[1994年]]([[第45回NHK紅白歌合戦|第45回]])の[[吉田拓郎]]、[[2002年]]([[第53回NHK紅白歌合戦|第53回]])の[[中島みゆき]]、[[2005年]]([[第56回NHK紅白歌合戦|第56回]])の[[松任谷由実]]など)。
*80[[1980年代]]前半あたりまでは、その年にデビューした歌手はヒットしていても出場できなかった。
*CD売り上げを重視した選考では[[演歌]]勢が不利となり高年層の視聴率を逃してしまうことになるため、現在では[[芸能事務所]]に一定の枠で出場を制限するなど調整を行っている。[[北島音楽事務所]]も[[ジャニーズ事務所]]も基本的に2枠程度である。
**ジャニーズ事務所の出場枠は[[1993年]]([[第44回NHK紅白歌合戦|第44回]])以降[[SMAP]]と[[TOKIO]]でほぼ固定されている。そのためTOKIO以後にデビューしたアイドルはほとんど出場機会を与えられていない。これは[[2001年]]([[第52回NHK紅白歌合戦|第52回]])と[[2004年]]([[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])にSMAPが辞退した時も同様で、TOKIOのみ出場した。[[1997年]]([[第48回NHK紅白歌合戦|第48回]])はデビュー曲「[[硝子の少年]]」を大ヒットさせた[[KinKi Kids]]の出場が有力視されていたが、実現しなかった。ただし、ゲスト出演は出場枠に抵触しないため、[[1999年]]([[第50回NHK紅白歌合戦|第50回]])には[[V6 (ジャニーズ)|V6]]と共にゲスト出演している。[[2004年]]([[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])では、[[タッキー&翼]]の[[滝沢秀明]]が審査員として出演した。
**[[モーニング娘。]]など[[ハロー!プロジェクト]]を擁する[[アップフロントエージェンシー]]の出場枠は紅白常連の[[堀内孝雄]]を含めて3枠程度である。そのため、多数のユニットを抱えるハロー!プロジェクトではユニット同士のコラボレーションやソロ歌手を集めたユニットの結成などでやりくりしている。そのため[[松浦亜弥]]や元モーニング娘。の[[後藤真希]]、[[藤本美貴]]は3度の初出場(最多タイ)を果たしている。
**以上の理由から、[[1974年]][[第25回NHK紅白歌合戦|第25回]]に[[渡辺プロダクション]]が記録した「同一所属事務所最多出場記録」(後述)の更新は困難となっている。
*近年は海外アーティストの招致にも積極的であり、[[アジア]]・[[南アメリカ|南米]]からも出場者が現れている。2004年(第55回)の[[Ryu (歌手)|Ryu]]、[[イ・ジョンヒョン]]の出場は話題になった。
*[[クラシック音楽]]系の歌手の出場は極めて少数派である。[[佐藤しのぶ (歌手)|佐藤しのぶ]]、[[鮫島有美子]]、[[鈴木慶江]]、[[ジョン・健・ヌッツォ]]、[[秋川雅史]]が出場している。
 
== 話題性 ==
*毎年、テレビ[[視聴率]]が非常に高いことで知られる。[[1962年]]([[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]])の調査開始以降での最高視聴率は[[1963年]]([[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]])の81.4%(関東地区・[[ビデオリサーチ]]調べ、以下同じ)。1980年代前半までは「お化け番組」「怪物番組」とも称され、新聞社系の週刊誌でも「紅白で歌われる曲の歌詞一覧」といった特集を組んだ。もっとも近年は[[裏番組]]や生活の多様化などにより、視聴率は低落傾向にある。最低視聴率は[[2004年]]([[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])の39.3%である。
*紅白への出演は翌年初頭のアーティストのCD売り上げに少なからぬ影響を与える。この現象は俗に「紅白効果」と呼ばれている。紅白出演後に紅白で歌われた曲が初めてオリコンシングルチャートで週間1位を獲得した例としては[[1986年]]([[第37回NHK紅白歌合戦|第37回]])出場の[[吉幾三]]の「雪國」(1987年[[2月9日]]付)、[[2002年]]([[第53回NHK紅白歌合戦|第53回]])出場の[[中島みゆき]]の「[[地上の星]]」(2003年[[1月20日]]付)、[[2006年]]([[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]])出場の[[秋川雅史]]の「[[千の風になって]]」(2007年[[1月22日]]付:クラシックの同チャート1位は史上初)がある。[[2003年]]([[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]])に大トリを努めた[[SMAP]]の「[[世界に一つだけの花]]」はそれまでランクが落ちていたが、紅白出演後の翌年[[1月5日]]にオリコンシングルチャートで週間1位に返り咲いた。
*司会者や出場者、曲目などが決定すると、そのつど大きく[[報道]]される。司会者や初出場者などの記者会見の模様は自局であるNHKニュースはもちろん、他局であるはずの[[民間放送|民放]]各局の情報番組でも大きく報じられる。民放各局の情報番組では、紅白の報道に長い時間を割いた後に「大晦日は○○(自局の大晦日特番)をご覧ください」などというふうにとってつけたように自局の大晦日特番の宣伝をチョロッと行うことがよくある。このことは紅白の話題を取り上げて自局の情報番組への注目度・関心度を高めたい一方、この報道によって紅白への注目度・関心度が高まって自局の大晦日特番から注目をそらしてしまうという[[ジレンマ]]を抱えていることを象徴している。[[梨元勝]]によれば、民放に紅白の取材が開放されたのは1981年以降のことであり、そのきっかけとなったのは[[テレビ朝日]]「[[アフタヌーンショー]]」の突撃取材だったという(『週刊朝日』2006年[[12月29日]]号)。今でも民放の情報番組は紅白を無視できずにいる。
*舞台袖の通路は放送終了後にアーティストが大挙するため、[[正月]]明けに民放各局の[[ワイドショー]]で大きく扱われる。この通路は[[和田アキ子]]が翌年の[[干支]]の被り物をして通ることでも有名である。
*[[2003年]]([[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]])と2004年(第55回)ではそれぞれ翌年の[[2月11日]]に総合テレビで[[再放送]]が行われた。
 
== 歌唱中のパフォーマンス ==
*紅白では歌唱中に視聴者、観客を驚かせるような演出のパフォーマンスがしばしば行われる。[[小林幸子]]や[[美川憲一]]の、ステージ一と一体化した豪華な衣装は特に有名である(「[[#歴史|歴史]]」の「[[#1970年代~1990年代|1970年代~1990年代]]」の節を参照)。
*大トリ歌手の歌の場面で天井から大量の紙吹雪が降ることがある。[[1982年]]([[第32回NHK紅白歌合戦|第32回]])の大トリ北島三郎の「風雪ながれ旅」では猛吹雪を思わせる大量の紙吹雪が降り、観客席まで入り込む演出があった。
*番組が生放送であることを利用し、アーティストが制作側に事前に知らせない不意打ちパフォーマンスを行うこともある。その典型例は[[2006年]]([[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]])の[[DJ OZMA]]のパフォーマンスであり、以後NHKは打ち合わせと著しく異なるパフォーマンスを行わないよう、歌番組に出演するアーティストに対し誓約書を書かせることとなった。これまでの主なパフォーマンスとしては、以下が挙げられる(詳しくは当該の回やアーティストの項目を参照)。
**[[1982年]]([[第33回NHK紅白歌合戦|第33回]]) - [[サザンオールスターズ#1980年代|サザンオールスターズ]]の[[桑田佳祐]]が[[三波春夫]]を[[パロディ]]化した衣装と歌い方をした。「裏番組(を見たい場合)は録画しましょう」という発言で、賛否両論が巻き起こった。
**[[1985年]]([[第36回NHK紅白歌合戦|第36回]]) - [[吉川晃司#略歴・人物|吉川晃司]]が歌唱中にセットを壊し、終了間際にギターを燃やした。出番が終わっても退場しなかったため、次の[[河合奈保子]]は曲の冒頭が歌えない結果となった。
**[[1991年]]([[第42回NHK紅白歌合戦|第42回]]) - [[とんねるず#音楽活動|とんねるず]]がパンツ1枚という衣装で登場した。[[木梨憲武]]は赤色、[[石橋貴明]]は白色に全身を塗っていた。後ろを向くと、背中に「[[受信料]]を払おう」と書いてあった。
**[[1992年]]([[第43回NHK紅白歌合戦|第43回]]) - [[本木雅弘#人物|本木雅弘]]が首に白い液体を入れた[[コンドーム]]をいくつも巻きつけて登場した。
**[[2006年]]([[第57回NHK紅白歌合戦#DJ OZMAのパフォーマンス|第57回]]) - [[DJ OZMA#紅白騒動について|DJ OZMA]]がボディスーツを着て出てきて、女性[[ダンサー|バックダンサー]]も同様の格好で全裸に見えたため、「[[公共放送]]で、しかも[[ゴールデンタイム|老若男女が視聴する時間帯]]である事の配慮がない」としてNHKに苦情が殺到した。
 
== 観覧方法 ==
*NHKホールでの観覧(3,000人)は官製往復[[はがき]]のみで応募が受け付けられる。毎年多数の応募が集まるため、抽選となる。
:※最多の応募総数は[[2004年]][[第55回NHK紅白歌合戦|第55回]])の759,772通(当選倍率:約248倍)
*毎年10月中旬頃に応募要項が告知され、11月の初旬頃に応募が締め切られる。
*抽選の結果(当落)は返信はがきの裏面に印刷され、12月上旬に応募者のもとに届けられる。
*当選通知がそのまま入場整理券となる。整理券(当選はがき)1枚につき2人まで[[NHKホール]]に入場できる。
なお2006年([[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]])の募集から、応募資格が次のいずれかに制限される事になった。
#「[[NHK受信料]]を支払いしている者」([[銀行]]口座からの引き落としでも可能)
#「新たに[[NHK受信料]]を支払いする者」
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== 歴史 ==
=== 開始当初~1960年代 ===
*[[第二次世界大戦]]終結直後の[[1945年]]の大晦日に「紅白音楽試合」というラジオ番組が放送された。番組は[[近藤積]](つもる)ディレクターの発案であった。近藤は剣道の紅白試合を念頭に置きつつ、「Speed, Sexuality, Sports」という娯楽の3要素を取り入れた番組を製作しようとした。当初は「紅白歌合戦」の名で放送する予定だったが、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が「合戦」の語に難色を示したため、「試合」という名称になったものである。音楽試合ということから歌以外の出場者も登場し、[[木琴]]、[[マンドリン]]、[[尺八]]による曲を披露した。童謡歌手・[[川田正子]]が歌った「[[汽車ポッポ]]」は、もとは「[[兵隊さんの汽車]]」という戦時童謡であったが、近藤ディレクターが作詞者[[富原薫]]に依頼して「兵隊さん 兵隊さん 万々歳」を「鉄橋だ 鉄橋だ たのしいな」にするなどの変更を加えた。また、大ヒットした「[[リンゴの唄]]」で新人・[[並木路子]]がベテラン勢と肩を並べて出場した(川田・並木とも、後の紅白歌合戦には出場していない)。
*当初はこの1回だけの放送の予定だったが、あまりの好評から放送の5年後の[[1951年]]以降もからタイトルを「紅白歌合戦」と改めて継続されることになる。第1回の白組及び大トリは[[藤山一郎]]で、「[[長崎の鐘]]」を歌った。[[1953年]]([[第3回NHK紅白歌合戦|第3回]])では、[[テレビ]]での実験放送が実施された。当初、第3回までは正月番組として放送されていたが、この年の[[12月31日]]には[[第4回NHK紅白歌合戦|第4回]]が放送され、テレビでの本格的な放送開始を機に、以降大晦日の放送が定着した。なお、大晦日の収録・生放送を行った理由は当時年末年始には大晦日しか大規模な会場が開いていなかったことが一因という。また、この第4回から会場に観客を入れての公開放送となった。
*会場は第1~3回までは[[内幸町]]にあった旧[[NHK東京放送会館]]だった。ラジオ・テレビ同時放送開始([[第4回NHK紅白歌合戦|第4回]])以降は[[東京宝塚劇場]]や[[日本劇場|日劇]]・[[日比谷公会堂]]・[[サンケイホール|産経ホール]]・[[新宿コマ劇場]]などを転々としたが、[[1973年]]([[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]])以降は[[渋谷]]の[[NHKホール]]に固定されて今日に至る。
*黎明期の紅白は映像はおろか音声すら現存しないとされてきたが、[[愛知県]][[名古屋市]]在住の一般の男性が[[1954年]]([[第5回NHK紅白歌合戦|第5回]])から録音していたテープが[[1999年]]末に発見された。一方、現存する映像は[[1963年]]([[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]])が最古である。[[1962年]]([[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]])はニュース映画で紹介された映像が残っている。なお[[1964年]]([[第15回NHK紅白歌合戦|第15回]])より[[カラー放送]]となったが、この回の映像はカラー・白黒とも現存しない。1964年を除いた1963年以降の[[1960年代]]の現存映像は白黒のみ(1965([[1965]]はカラー版が部分的に現存している)で所々激しくぶれる。[[1970年]]はカラーで現存するがフィルム映像でとても汚く、一部が欠落している。[[1971年]]もカラーで現存するが一部が欠落している。1972年以降の現存映像はカラーで安定している。
*黎明期([[1956年]]([[第9回NHK紅白歌合戦|第9回]]頃)までは戦前・戦中派の歌手も常連として名を連ねていたが、[[1957年]]([[第8回NHK紅白歌合戦|第8回]])を以て戦前からの第一人者的存在である[[藤山一郎]]が後進に道を譲る形で歌手としての出場を辞退。以降、回を重ねるごとに戦前派の歌手の名は消えてゆく。入れ替わるように、[[1959年]]([[第10回NHK紅白歌合戦|第10回]])では新世代デュオ歌手[[ザ・ピーナッツ]]が出場した(姉妹または兄弟での出場はこれが初めて)。さらに[[1962年]]([[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]])では前年まで連続出場していた[[淡谷のり子]]、[[林伊佐緒]]、[[伊藤久男]]が落選、完全に戦後派の歌手のみの顔ぶれとなった。
*テレビ視聴率調査([[ビデオリサーチ]]による)が[[1962年]]([[第13回NHK紅白歌合戦|第13回]])から開始される。翌年([[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]])において81.4%の視聴率を記録する。これは、紅白史上およびビデオリサーチの全統計史上最高のテレビ視聴率である。
*[[美空ひばり]]は、[[1963年]][[第14回NHK紅白歌合戦|第14回]])から東京宝塚劇場での最終開催となった[[1972年]]([[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]])まで一貫して紅組のトリを務めていた。だが、翌1973年([[1973年第24回NHK紅白歌合戦|第24回]]に実弟が暴力団絡みの事件で逮捕された事が発端となり全国各地でひばり公演の開催中止が相次ぐなどして人気が急降下し、同年([[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]])の紅白も落選となった(その後、[[1979年]]([[第30回NHK紅白歌合戦|第30回]])に藤山一郎と共に「30回記念特別ゲスト」扱いで出場、「[[リンゴ追分]]」などをメドレーで熱唱した。結局、同回がひばりにとって最後の紅白出場となってしまった)。
*[[1960年代]]のグループサウンズ全盛の頃、長髪のグループは出場できなかった。[[1967年]]([[第18回NHK紅白歌合戦|第18回]])の[[ザ・タイガース]]はその例である。出演できたのは短髪の[[ジャッキー吉川とブルーコメッツ]]のみであった。時が経ち、当然ながら長髪は解禁になった。[[1989年]]([[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]])にはザ・タイガースが再結成されて出場、[[1999年]]([[第50回NHK紅白歌合戦|第50回]])には[[ザ・スパイダース]]の元メンバー3人によって結成された[[ソン・フィルトル]]が出場した。
*[[沖縄]]は[[アメリカ合衆国|米国]]の施政権下にあったため、[[1964年]]([[第15回NHK紅白歌合戦|第15回]])まではテレビで中継ができなかった。本土と沖縄を結ぶテレビ中継用マイクロケーブルが完成した翌年の[[1965年]]([[第16回NHK紅白歌合戦|第16回]])から[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]が[[スポンサー]]をつけるという形で放送を開始した。[[1968年]]に[[沖縄放送協会]]の中央放送局がテレビ放送を開始すると、その年([[第19回NHK紅白歌合戦|第19回]])から同局での放送となり、ようやく本土と同じ内容になった。[[1972年]]の本土復帰で[[沖縄県]]が再発足すると沖縄放送協会は[[NHK沖縄放送局]]となり、同時に[[1945年]]以来中断していたラジオ放送が再開されると、その年([[第23回NHK紅白歌合戦|第23回]])から沖縄でもラジオ中継を開始した。
*1960年代後半から[[1970年代]]にかけて、ステージの後ろに出場歌手が並んで座る「歌手席」が設けられることが一般的だった。
*詳細は以下を参照。
:[[第1回NHK紅白歌合戦|1951年]] [[第2回NHK紅白歌合戦|1952年]] [[第3回NHK紅白歌合戦|1953年1月]] [[第4回NHK紅白歌合戦|1953年12月]] [[第5回NHK紅白歌合戦|1954年]] [[第6回NHK紅白歌合戦|1955年]] [[第7回NHK紅白歌合戦|1956年]] [[第8回NHK紅白歌合戦|1957年]] [[第9回NHK紅白歌合戦|1958年]] [[第10回NHK紅白歌合戦|1959年]] [[第11回NHK紅白歌合戦|1960年]] [[第12回NHK紅白歌合戦|1961年]] [[第13回NHK紅白歌合戦|1962年]] [[第14回NHK紅白歌合戦|1963年]] [[第15回NHK紅白歌合戦|1964年]] [[第16回NHK紅白歌合戦|1965年]] [[第17回NHK紅白歌合戦|1966年]] [[第18回NHK紅白歌合戦|1967年]] [[第19回NHK紅白歌合戦|1968年]] [[第20回NHK紅白歌合戦|1969年]]
 
=== 1970年代~1990年代 ===
*[[1970年代]]になると[[新三人娘]]、[[新御三家]]、[[花の中三トリオ|花の高一トリオ]]に代表される[[アイドル]]の台頭、[[フォークソング|フォーク]]および[[ニューミュージック]]、[[ロック (音楽)|ロック]]グループの人気によって、紅白で歌われる曲の質は一変した。「若い人の歌う歌は分からない」と高年層から文句が出るようになったのもこれ以降である。[[1973年]][[第24回NHK紅白歌合戦|第24回]])に初出場が当確と見られていた[[西城秀樹]]が「アクションが激しすぎる」という理由で落選した事は当時の世相を物語る出来事であった。
*公共放送であるNHKは番組中で商品名の使用を規制しているがかつては現在に比べてその規制も厳しく、紅白でも歌詞に関するトラブルが起こった。1973年(第24回)に[[かぐや姫 (フォークグループ)|かぐや姫]]の「[[神田川 (シングル)|神田川]]」の歌詞に出てくる「クレパス」([[サクラクレパス]]の商標)を「クレヨン」に変えさせようとした結果、かぐや姫は出場を辞退した。[[1978年]]([[第29回NHK紅白歌合戦|第29回]])にも[[山口百恵]]の「[[プレイバックPart2]]」の歌詞にある「真っ赤な[[ポルシェ]]」を「真っ赤な車」に変えさせようとしたが、実際には原詞通り歌われた(別番組の「[[レッツゴーヤング]]」では「真っ赤な車」として歌った)。
*視聴率は、1970年代から[[1980年代]]前半はなお驚異的に高い域にあった。[[1974年]]([[第25回NHK紅白歌合戦|第25回]])から9年間白組司会を務めた[[山川静夫]]アナウンサーが降板した理由の1つは視聴率の降下であるが、それでも最後の司会の[[1982年]]([[第33回NHK紅白歌合戦|第33回]])の視聴率は69.9%(ビデオリサーチ、関東)もあった。とりわけ、[[都はるみ]]の引退舞台となった[[1984年]]([[第35回NHK紅白歌合戦|第35回]])の視聴率は78.1%であり、[[1960年代]]に匹敵する数字であった。ところが、以後はテレビの音楽番組が減るなど状況の変化もあって、視聴率が大幅に落ち込むようになった。
*[[1989年]]([[第40回NHK紅白歌合戦|第40回]])から紅白は2部構成になった。この年に[[昭和天皇]]が崩御し、「昭和を振り返る」という意味もあったが視聴者の音楽の好みが多様化し、多くの曲を揃えなければ需要に応えられないという視聴率対策の意味合いがあった。この試みは功を奏し、視聴率低落傾向に一応の歯止めがかかった。以後、[[1990年代]]は視聴率は50%前後で推移するようになる。
*[[1980年代]]の紅白はそれまでより話題を集めにくくなっていた。この時期最も注目されたものの1つが[[小林幸子]]の衣装であった。小林の衣装は1980年代半ばから派手になり、[[1985年]]([[第36回NHK紅白歌合戦|第36回]])の「夫婦しぐれ」で[[十二単]]を、翌[[1986年]]([[第37回NHK紅白歌合戦|第37回]])の「別離(わかれ)」ではクレオパトラの衣装を披露した。[[1991年]]([[第42回NHK紅白歌合戦|第42回]])の「冬化粧」では鳥となって飛んだ。[[1990年代]]になると、小林および[[美川憲一]]の豪華衣装対決が注目されるようになる。
*[[1981年]]([[第32回NHK紅白歌合戦|第32回]])から、これまでホールの後ろから観客席を通って入場行進していた出場者は舞台の後ろから入場行進をするようになった。また応援合戦が少なくなり、出場者の歌手席が初めと終わりを除いて設置されなくなった。1980年代半ばあたりから応援合戦のみは復活したものの、歌手席は初めと終わりにも設置されなくなった。[[1991年]]([[第42回NHK紅白歌合戦|第42回]])から入場行進、優勝旗返還、選手宣誓が省略され、またそれまではステージ上や[[オーケストラピット]]で演奏していたオーケストラが表舞台に出演しなくなった(現在は別スタジオにて、生の映像を見ながら演奏している)。このため、現在の紅白は「歌合戦らしさが失われている」とよくいわれる。[[2002年]]([[第53回NHK紅白歌合戦|第53回]])ではオーケストラが小規模ではあるが、久しぶりに表舞台で演奏した。
*1970年代までオープニングの入場行進で流れていた「乾杯の歌」(ドイツ民謡、アメリカ・メイン大学学生歌、別名:「スタイン・ソング」)が演奏される回が少なくなっていった(1980年代以降、入場行進で流れていたのは第31・32回および36~38・40回のみ。なお第47・48回のオープニングでは「乾杯の歌」のアレンジ版、第51回では1フレーズのみ流れ、近年は司会者および出場歌手発表時の記者会見で流れるのみである)。
*[[1990年代]]には[[小室哲哉]]の作詞作曲した楽曲が市場を制覇したが、その影響は紅白にも現れた。例えば[[1996年]]([[第47回NHK紅白歌合戦|第47回]])の出場者のうち[[TRF]]、[[安室奈美恵]]、[[華原朋美]]、[[globe]]らが「[[小室ファミリー|小室系]]」の歌手であった。
*[[1990年代]]後半を中心に[[ヴィジュアル系]]バンドのブームが起こり、[[X JAPAN]]・[[LUNA SEA]]・[[GLAY]]・[[L'Arc〜en〜Ciel]]らが出場した。当時、ブームを担ったテレビ朝日の「[[Break Out (テレビ番組)|Break Out]]」では[[SHAZNA]]・[[La'cryma Christi]]・[[MALICE MIZER]]・[[FANATIC◇CRISIS]]・[[PIERROT]]・[[D-SHADE]]・[[L'luvia]]といったバンドが人気を得てメジャーになったが、紅白には出場しなかった。ほかに[[Dir en grey]]・[[リュシフェル]]・[[黒夢]]・[[ROUAGE]]・[[Laputa]]・[[PENICILLIN]]といったバンドが注目されたが、出場しなかった。<!--理由については憶測の域を出ないので記しません。自らの拒否・NHK側の難色・他の歌手とのバランス等、いろいろあるでしょう。-->
*詳細は、以下を参照。
:[[第21回NHK紅白歌合戦|1970年]] [[第22回NHK紅白歌合戦|1971年]] [[第23回NHK紅白歌合戦|1972年]] [[第24回NHK紅白歌合戦|1973年]] [[第25回NHK紅白歌合戦|1974年]] [[第26回NHK紅白歌合戦|1975年]] [[第27回NHK紅白歌合戦|1976年]] [[第28回NHK紅白歌合戦|1977年]] [[第29回NHK紅白歌合戦|1978年]] [[第30回NHK紅白歌合戦|1979年]] [[第31回NHK紅白歌合戦|1980年]] [[第32回NHK紅白歌合戦|1981年]] [[第33回NHK紅白歌合戦|1982年]] [[第34回NHK紅白歌合戦|1983年]] [[第35回NHK紅白歌合戦|1984年]] [[第36回NHK紅白歌合戦|1985年]] [[第37回NHK紅白歌合戦|1986年]] [[第38回NHK紅白歌合戦|1987年]] [[第39回NHK紅白歌合戦|1988年]] [[第40回NHK紅白歌合戦|1989年]] [[第41回NHK紅白歌合戦|1990年]] [[第42回NHK紅白歌合戦|1991年]] [[第43回NHK紅白歌合戦|1992年]] [[第44回NHK紅白歌合戦|1993年]] [[第45回NHK紅白歌合戦|1994年]] [[第46回NHK紅白歌合戦|1995年]] [[第47回NHK紅白歌合戦|1996年]] [[第48回NHK紅白歌合戦|1997年]] [[第49回NHK紅白歌合戦|1998年]] [[第50回NHK紅白歌合戦|1999年]]
 
=== 2000年代~ ===
*[[21世紀]]の紅白は国民の生活様態の多様化などに加えて[[衛星放送|BS]]でも見られることなどから、地上波放送の[[視聴率]]が減少傾向にある。[[演歌歌手]]の出演数が半分以下になったため、演歌ファンの中には演歌や[[懐メロ]]中心の裏番組「[[にっぽんの歌|年忘れにっぽんの歌]]」([[テレビ東京]])を見る人も増えている(BSジャパンでも同時放送されているため日本全国で視聴可能)。また紅白の全盛期を過ぎた90年代は比較的J-POPの旬なアーティストが積極的に出演していたこともあり視聴率は50%50%台をキープする安定期に入っていたが、[[2000年代]]になるとJ-POPの旬なアーティストすら紅白を避ける傾向にあり、全盛期を過ぎたアーティストやさほどCD売り上げや知名度がないアーティストまで出演するようになり、近年40%40%前後へと視聴率が再び低下している。
*紅白の出場依頼を断る歌手も依然として多い。比較的キャリアを積み人気も一定以上になった歌手はもはや紅白に関心を示さず、自身が主催する「年越しライブ」を行うことも増えつつある。演歌歌手も「年忘れにっぽんの歌」への出場に目標を変える傾向が強くなっている。
*一方で[[モーニング娘。]]など[[ハロー!プロジェクト]]のメンバー、[[浜崎あゆみ]]、[[大塚愛]]、[[倖田來未]]ら[[エイベックス]]勢、[[aiko]]、[[氣志團]]、[[ORANGERANGE]]、[[中島美嘉]]など、紅白出場に積極的な歌手や芸能事務所も少なからず存在している。演歌歌手は紅白に出るか出ないかで翌年の営業(コンサートなど)が大きく変わることから、「紅白に出たい」という人はなお多い。さらに[[中島みゆき]]や[[松任谷由実]]など大物歌手が初出場するなど、大晦日の一大イベントとしての紅白の意味はなお失われていない。
*SMAPは[[2003年]](第54回)に大トリを務めた。グループとしては史上初、ポップス歌手としては1978年第29回の[[沢田研二]]以来25年振りだった。しかし、翌[[2004年]](第55回)には出場を辞退し、その年の紅白の平均視聴率は過去最低を記録した。そして[[2005年]](第56回)には2度目の大トリを努め、視聴率上昇に大きく貢献した。
*個人のスケジュールの都合やイメージ戦略により会場以外の場所から中継出演する歌手も多くなっている。
*2001年の([[第52回NHK紅白歌合戦|第52回]])から[[2004年]](第55回)までは当時の[[海老沢勝二]][[会長]]の強い意向によりNHK[[アナウンサー]]が全ての[[司会]]を担当した。
*2004年には紅白も担当したNHKプロデューサーが5千万円近い制作費を不正支出していたことが明るみに出て、NHKは激しい批判にさらされることになった。紅白のあり方についても見直しが提起され、翌[[2005年]](第56回)には「[[スキウタ~紅白みんなでアンケート~|スキウタ]]」アンケートを実施し、その結果を参考に曲目を決めるなどの試みが実施された。視聴率は一応下げ止まりを見せたものの、視聴者の理解を真に得られるかどうかはなお今後の取り組みにかかっている。
*[[2006年]]以降の元日、総合テレビでは紅白終了の40分後に年の初めは[[さだまさし]]が放送されている。さだ以外の出場歌手の中には、このスタジオに乱入する者もいる。また、さだはこの中で爆弾発言をすることがあり、紅白の視聴者を他局へ逃げさせない工夫となっている。
*2007年([[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]])から[[2009年]]([[第60回NHK紅白歌合戦|第60回]]記念)までの3年計画「歌力(うたぢから)」の一環で2007年(第60回)は[[クイズ番組|クイズ企画]]「[[紅白検定]]」が行われる予定。
*詳細は、以下を参照。
:[[第51回NHK紅白歌合戦|2000年]] [[第52回NHK紅白歌合戦|2001年]] [[第53回NHK紅白歌合戦|2002年]] [[第54回NHK紅白歌合戦|2003年]] [[第55回NHK紅白歌合戦|2004年]] [[第56回NHK紅白歌合戦|2005年]] [[第57回NHK紅白歌合戦|2006年]] [[第58回NHK紅白歌合戦|2007年]]
121行目:
*1963年・1964年 各地方放送局のアナウンサーが地方審査員のポイントを公表。加えて、審査委員長のNHK芸能局長がステージ上で特別審査員のポイントを追加、公表し優勝チームを発表。会場の電光掲示板にも表示される。
*1965年~1968年 特別審査員が宝箱にボールを入れ、両軍司会者がステージ袖に向かってボールを投げ、ボールの数の多いチームが優勝。
*1969年~1980年 得点集計センターのオペレーターが電話で地域代表が優勢と判断したチームを聞き、両チームの得点を集計する。その後、特別審査員がスイッチで1ポイントずつ点数を入れ、地域代表の審査結果と合計した点数を電光掲示板に表示し、点数の多かったチームが優勝。
*1981年([[第32回NHK紅白歌合戦|第32回]])から客席審査員として会場の観客全員も審査を開始。観客が優勢と判断した色を団扇で示し、双眼鏡を持った[[日本野鳥の会]]が数える風景は恒例となった(1986~91年は行われず)。団扇による得票数は、その年のそろ盤日本一が暗算にて計算。団扇の得票数をボールの個数に置き換え、特別審査員のボールの数と合わせて、紅白それぞれの箱に加えられたボールを両軍の代表者が客席に向かって投げる。ボールの個数の多かったチームが優勝。
**なお、日本野鳥の会がこれを担当したのは1981~85年と1992年のみであり、1993~2002年は[[麻布大学]]野鳥研究部が担当している。日本野鳥の会および麻布大野鳥研究部によると、紅白用にわざわざスケジュールを空けているという。
*2002年から客席審査員(2002年は観客の一部、2003年は観客全員)がボールを使う投票方式となった。これはNHK総合テレビの人気番組「[[爆笑オンエアバトル]]」の方式によるものである。
*また2002年からはデジタル放送(2002年からはBSデジタル放送、2003年からは地上デジタル放送でも)の双方向機能を利用したお茶の間審査員による投票が行われるようになった。
**申し込みの際、デジタル総合テレビとデジタル衛星ハイビジョンが両方受信できる場合はどちらか一方のチャンネルのデータ放送で申し込みすればデジタル総合テレビ・デジタル衛星ハイビジョンのどちらでも双方向通信による投票が可能である(受信機1台に付き、1回の申し込みで可)。地上デジタル放送が受信できない地域ではデジタル衛星ハイビジョンのデータ放送からの申し込みとなる。
*2005年には審査員の投票総数で勝敗を競う方式に変更された。ゲスト審査員10名と「デジタルTV審査員」と新設された「ケータイ審査員」(抽選で選ばれた10,000名)に加え、2年ぶりに復活する会場審査(3,000名程度)を加えた人数で勝敗を競う。これは[[NHKの不祥事|不祥事]]に伴う信頼回復策の一環として視聴者の意見を重視してイメージアップを図ることが目的だったという。また、「デジタルTV審査員」と「ケータイ審査員」への応募者の中から抽選で各10名、計20名が「ふるさと審査員」としてNHKホールに招待された。会場審査はゲスト審査員・ふるさと審査員も含め、専用の紅白の団扇をステージ上のレーダーに向ける「[[ポップジャム]]」のブレイクレーダー方式が用いられた。
132行目:
**最終審査では「会場審査員」、「ケータイ審査員」、「デジタルTV審査員」+「ワンセグ審査員」で各2個づつとゲスト審査員10名(1名につき1個)を加え、中間審査の分を合わせるとボールの数は合計18個となった。
**「ケータイ審査員」は抽選となったが、「ワンセグ審査員」は対応機種が少数派のためか締め切りを過ぎても定員に達せず、放送当日まで募集を行った。
*2007年も前年の方式が踏襲されるが「ケータイ審査員」は50,000名に増員、「ワンセグ審査員」は無制限となる。
**中間審査は前年までの1回から3回に増える。
 
== 各回の概要 ==
以下を参照。
{{紅白歌合戦}}
=== 歴代司会者と勝敗 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center"
{|border="1" cellpadding="2" cellspacing="0"
!style="background-color:#C0C0C0"|回数!!style="background-color:#C0C0C0"|放送日!!style="background-color:#ff7e7e"|紅組司会!!style="background-color:#ffffff"|白組司会!!style="background-color:#f7e7a8"|総合司会!!style="background-color:#C0C0C0"|勝
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第1回||[[1951年]][[1月3日]]||[[加藤道子]]||rowspan="2"|[[藤倉修一]]||rowspan="2"|[[田辺正晴]]||style="background-color:#ffffff"|白
!bgcolor="#e8e8e8"|回||bgcolor="#e8e8e8"|年||bgcolor="#ff7e7e"|紅組司会||bgcolor="#ffffff"|白組司会||bgcolor="#f7e7a8"|総合司会||bgcolor="#e8e8e8"|勝
|-
|1style="background-color:#f2f2f2"|第2回||[[19511952年]]1月3日||[[加藤道丹下キヨ子]]||[[藤倉修一]]||[[田辺正晴]]||bgcolorstyle="background-color:#ffffff"|白
|-
|2style="background-color:#f2f2f2"|第3回||[[19521953]][[1月2日]]||[[丹下キヨ子本田寿賀]]||藤倉修一[[宮田輝]]||田辺[[志村順]]||bgcolorstyle="background-color:#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第4回||1953年[[12月31日]]||[[水の江瀧子|水の江滝子]]||rowspan="9"|[[高橋圭三]]||[[北出清五郎]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|3||[[1953年]]1月||[[本田寿賀]]||[[宮田輝]]||[[志村正順]]||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|4style="background-color:#f2f2f2"||1953年12月第5回||[[水の江瀧子|水の江滝子1954年]]12月31日||[[高橋圭三福士夏江]]||rowspan="7"|[[北出清五石井鐘三郎]]||bgcolorstyle="background-color:#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第6回||[[1955年]]12月31日||rowspan="2"|宮田輝||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|5||[[1954年]]||[[福士夏江]]||高橋圭三||[[石井鐘三郎]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第7回||[[1956年]]12月31日||style="background-color:#ffffff"|白
|6||[[1955年]]||宮田輝||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第8回||[[1957年]]12月31日||水の江滝子||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|7||[[1956年]]||宮田輝||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|8style="background-color:#f2f2f2"|第9回||[[19571958年]]12月31日||水の江滝[[黒柳徹]]||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolorstyle="background-color:#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第10回||[[1959年]]12月31日||rowspan="3"|[[中村メイコ]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|9||[[1958年]]||[[黒柳徹子]]||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第11回||[[1960年]]12月31日||style="background-color:#ffffff"|白
|10||[[1959年]]||[[中村メイコ]]||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第12回||[[1961年]]12月31日||[[穂坂俊明]]||style="background-color:#ffffff"|白
|11||[[1960年]]||中村メイコ||高橋圭三||石井鐘三郎||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第13回||[[1962年]]12月31日||[[森光子]]||rowspan="6"|宮田輝||rowspan="6"|石井鐘三郎||style="background-color:#ffffff"|白
|12||[[1961年]]||中村メイコ||高橋圭三||[[穂坂俊明]]||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第14回||[[1963年]]12月31日||rowspan="2"|[[江利チエミ]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|13||[[1962年]]||[[森光子]]||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第15回||[[1964年]]12月31日||style="background-color:#ffffff"|白
|14||[[1963年]]||[[江利チエミ]]||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第16回||[[1965年]]12月31日||[[林美智子 (女優)|林美智子]]||style="background-color:#ffffff"|白
|15||[[1964年]]||江利チエミ||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第17回||[[1966年]]12月31日||[[ペギー葉山]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅 
|16||[[1965年]]||[[林美智子 (女優)|林美智子]]||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|17style="background-color:#f2f2f2"|第18回||[[19661967年]]12月31日||[[ペギー葉山九重佑三子]]||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolorstyle="background-color:#ff7e7e"|紅 
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第19回||[[1968年]]12月31日||[[水前寺清子]]||rowspan="2"|[[坂本九]]||rowspan="2"|宮田輝||style="background-color:#ffffff"|白
|18||[[1967年]]||[[九重佑三子]]||宮田輝||石井鐘三郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第20回||[[1969年]]12月31日||[[伊東ゆかり]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|19||[[1968年]]||[[水前寺清子]]||[[坂本九]]||宮田輝||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|20style="background-color:#f2f2f2"|第21回||[[19691970年]]12月31日||[[伊東ゆか美空ひばり]]||坂本九|rowspan="4"|宮田輝||bgcolor北出清五郎||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第22回||[[1971年]]12月31日||水前寺清子||[[鈴木文弥]]||style="background-color:#ffffff"|白
|21||[[1970年]]||[[美空ひばり]]||宮田輝||北出清五郎||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第23回||[[1972年]]12月31日||[[佐良直美]]||rowspan="2"|[[山川静夫]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|22||[[1971年]]||水前寺清子||宮田輝||[[鈴木文弥]]||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第24回||[[1973年]]12月31日||水前寺清子||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|23||[[1972年]]||[[佐良直美]]||宮田輝||[[山川静夫]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|24style="background-color:#f2f2f2"|第25回||[[19731974年]]12月31日||水前寺清子rowspan="4"|佐良直美|宮田輝|rowspan="9"|山川静夫||bgcolor[[土門正夫]]<br>[[中江陽三]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第26回||[[1975年]]12月31日||rowspan="4"|[[相川浩]]||style="background-color:#ffffff"|白
|25||[[1974年]]||佐良直美||山川静夫||[[土門正夫]]<br>[[中江陽三]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第27回||[[1976年]]12月31日||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|26||[[1975年]]||佐良直美||山川静夫||[[相川浩]]||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第28回||[[1977年]]12月31日||style="background-color:#ffffff"|白
|27||[[1976年]]||佐良直美||山川静夫||相川浩||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第29回||[[1978年]]12月31日||森光子||style="background-color:#ffffff"|白
|28||[[1977年]]||佐良直美||山川静夫||相川浩||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第30回||[[1979年]]12月31日||水前寺清子||rowspan="2"|中江陽三||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|29||[[1978年]]||森光子||山川静夫||相川浩||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第31回||[[1980年]]12月31日||rowspan="4"|黒柳徹子||style="background-color:#ff7e7e"|紅
|30||[[1979年]]||水前寺清子||山川静夫||中江陽三||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第32回||[[1981年]]12月31日||rowspan="2"|[[生方恵一|生方惠一]]||style="background-color:#ffffff"|白(22-11)
|31||[[1980年]]||黒柳徹子||山川静夫||中江陽三||bgcolor="#ff7e7e"|紅
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第33回||[[1982年]]12月31日||style="background-color:#ff7e7e"|紅(19-16)
|32||[[1981年]]||黒柳徹子||山川静夫||[[生方恵一|生方惠一]]||bgcolor="#ffffff"|白(22-11)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第34回||[[1983年]]12月31日||rowspan="3"|[[鈴木健二]]||[[タモリ]]||style="background-color:#ffffff"|白(19-10)
|33||[[1982年]]||黒柳徹子||山川静夫||生方惠一||bgcolor="#ff7e7e"|紅(19-16)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第35回||[[1984年]]12月31日||森光子||生方惠一||style="background-color:#ff7e7e"|紅(31-2)
|34||[[1983年]]||黒柳徹子||[[鈴木健二]]||[[タモリ]]||bgcolor="#ffffff"|白(19-10)
|-
|35style="background-color:#f2f2f2"|第36回||[[19841985年]]12月31日||[[]]||鈴木健二|[[千田正穂]]|生方惠一||bgcolorstyle="background-color:#ff7e7e"|紅(31(22-2)11)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第37回||[[1986年]]12月31日||[[斉藤由貴]]<br>[[目加田頼子|目加田賴子]]||[[加山雄三]]<br>千田正穂||[[吉川精一]]||style="background-color:#ffffff"|白
|36||[[1985年]]||[[森昌子]]||鈴木健二||[[千田正穂]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅(22-11)
|-
|37style="background-color:#f2f2f2"|第38回||[[19861987年]]12月31日||rowspan="2"|[[斉藤由貴]]<br>[[目加田頼子|目加アキ子]]||[[rowspan="2"|加山雄三]]<br>千田正穂||[[吉川精一]]||bgcolorstyle="background-color:#ffffffff7e7e"|紅(18-9)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第39回||[[1988年]]12月31日||[[杉浦圭子]]||style="background-color:#ffffff"|白(19-8)
|38||[[1987年]]||[[和田アキ子]]||加山雄三||吉川精一||bgcolor="#ff7e7e"|紅(18-9)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第40回||[[1989年]]12月31日||rowspan="2"|[[三田佳子]]||[[武田鉄矢]]||rowspan="2"|[[松平定知]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅(20-7)
|39||[[1988年]]||和田アキ子||加山雄三||[[杉浦圭子]]||bgcolor="#ffffff"|白(19-8)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第41回||[[1990年]]12月31日||[[西田敏行]]||style="background-color:#ffffff"|白(13-4)
|40||[[1989年]]||[[三田佳子]]||[[武田鉄矢]]||[[松平定知]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅(20-7)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第42回||[[1991年]]12月31日||[[浅野ゆう子]]||rowspan="3"|[[堺正章]]||rowspan="2"|山川静夫||style="background-color:#ff7e7e"|紅(8-7)
|41||[[1990年]]||三田佳子||[[西田敏行]]||松平定知||bgcolor="#ffffff"|白(13-4)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第43回||[[1992年]]12月31日||rowspan="2"|[[石田ひかり]]||style="background-color:#ffffff"|白(15-2)
|42||[[1991年]]||[[浅野ゆう子]]||[[堺正章]]||山川静夫||bgcolor="#ff7e7e"|紅(8-7)
|-
|43style="background-color:#f2f2f2"|第44回||[[19921993年]]12月31日||[[ひかり美由紀]]||堺正章||山川静夫||bgcolorstyle="background-color:#ffffff"|白(15(21-2)6)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第45回||[[1994年]]12月31日||rowspan="2"|[[上沼恵美子]]||rowspan="3"|[[古舘伊知郎]]||[[宮川泰夫]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅(9-8)
|44||[[1993年]]||石田ひかり||堺正章||[[森田美由紀]]||bgcolor="#ffffff"|白(21-6)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第46回||[[1995年]]12月31日||rowspan="2"|[[宮本隆治]]<br>[[草野満代]]||style="background-color:#ffffff"|白(13-4)
|45||[[1994年]]||[[上沼恵美子]]||[[古舘伊知郎]]||[[宮川泰夫]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅(9-8)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第47回||[[1996年]]12月31日||[[松たか子]]||style="background-color:#ffffff"|白(9-4)
|46||[[1995年]]||上沼恵美子||古舘伊知郎||[[宮本隆治]]<br>[[草野満代]]||bgcolor="#ffffff"|白(13-4)
|-
|47style="background-color:#f2f2f2"|第48回||[[19961997年]]12月31日||和田アキ子||rowspan="2"|[[松たか子中居正広]]||古舘伊知郎|rowspan="4"|宮本隆治<br>草野満代||bgcolorstyle="background-color:#ffffff"|白(9-4)(9-4)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第49回||[[1998年]]12月31日||rowspan="3"|[[久保純子]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅(9-4)
|48||[[1997年]]||和田アキ子||[[中居正広]]||宮本隆治||bgcolor="#ffffff"|白(9-4)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第50回||[[1999年]]12月31日||[[中村勘三郎 (18代目)|中村勘九郎]]||style="background-color:#ffffff"|白(7-6)
|49||[[1998年]]||[[久保純子]]||中居正広||宮本隆治||bgcolor="#ff7e7e"|紅(9-4)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第51回||[[2000年]]12月31日||[[和泉元彌]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅(9-4)
|50||[[1999年]]||久保純子||[[中村勘三郎 (18代目)|中村勘九郎]]||宮本隆治||bgcolor="#ffffff"|白(7-6)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第52回||[[2001年]]12月31日||rowspan="2"|[[有働由美子]]||rowspan="2"|[[阿部渉]]||rowspan="2"|[[三宅民夫]]||style="background-color:#ffffff"|白(9-4)
|51||[[2000年]]||久保純子||[[和泉元彌]]||宮本隆治||bgcolor="#ff7e7e"|紅(9-4)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第53回||[[2002年]]12月31日||style="background-color:#ff7e7e"|紅(9-6)
|52||[[2001年]]||[[有働由美子]]||[[阿部渉]]||[[三宅民夫]]||bgcolor="#ffffff"|白(9-4)
|-
|53style="background-color:#f2f2f2"|第54回||[[20022003年]]12月31日||有働由美子<br>[[膳場貴子]]||阿部渉<br>[[高山哲哉]]||三宅民夫[[武内陶子]]||bgcolorstyle="background-color:#ff7e7effffff"|紅(9-6)白(15-0)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第55回||[[2004年]]12月31日||[[小野文惠]]||阿部渉||[[堀尾正明]]||style="background-color:#ff7e7e"|紅(8-5)
|54||[[2003年]]||有働由美子<br>[[膳場貴子]]||阿部渉<br>[[高山哲哉]]||[[武内陶子]]||bgcolor="#ffffff"|白(15-0)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第56回||[[2005年]]12月31日||rowspan="2"|[[仲間由紀恵]]||[[山本耕史]]||[[みのもんた]]<br>[[山根基世]]||style="background-color:#ffffff"|白
|55||[[2004年]]||[[小野文惠]]||阿部渉||[[堀尾正明]]||bgcolor="#ff7e7e"|紅(8-5)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|第57回||[[2006年]]12月31日||中居正広||三宅民夫<br>[[黒崎めぐみ]]||style="background-color:#ffffff"|白(13-5)
|56||[[2005年]]||[[仲間由紀恵]]||[[山本耕史]]||[[みのもんた]]<br>[[山根基世]]||bgcolor="#ffffff"|白
|-
|57style="background-color:#f2f2f2"|第58回||[[20062007年]]||仲間由紀恵12月31日||中居正広||三宅民夫[[笑福亭鶴瓶]]||[[松本和也]]<br>[[黒崎めぐみ住吉美紀]]||bgcolor="#ffffff"|白(13-5)
|-
|58||[[2007年]]||中居正広||[[笑福亭鶴瓶]]||[[松本和也]]<br>[[住吉美紀]]
|}
#<small>[[ジンクス]]として前年優勝の紅組司会者が翌年も司会をした場合、連勝した事がない。過去に中村メイコ・江利チエミ・佐良直美・黒柳徹子・和田アキ子・三田佳子・上沼恵美子・久保純子アナウンサー・有働由美子アナウンサーが紅組優勝の翌年も連続で司会を行っているが、すべて敗れている。ちなみに佐良直美・黒柳徹子は2度連勝のチャンスがあったが2回とも失敗している。ただ連続ではないが、水の江滝子は2勝している。また、ジンクスとしては他にも女性アナウンサーが総合司会を担当すると必ず紅組が敗れると言うものや、放送年か放送前年に大河ドラマか朝ドラに主演・出演した女優・タレントが紅組司会をすると敗れると言うものがある。ただ、こちらも例外として1986年の大河主演の三田佳子は1989年に司会をした際は優勝している。</small>
 
#<small>総合司会のうち第18回までと第25回の土門・中江両アナウンサー、第34回のタモリ、第45回の宮川アナウンサーは厳密には「進行役」という名義の下で出演した。</small>
#<small>[[ジンクス]]として前年優勝の紅組司会者が翌年も司会をした場合、連勝した事がない。過去に中村メイコ・江利チエミ・佐良直美・黒柳徹子・和田アキ子・三田佳子・上沼恵美子・久保純子アナウンサー・有働由美子アナウンサーが紅組優勝の翌年も連続で司会を行っているが、すべて敗れている。ちなみに佐良直美・黒柳徹子は2度連勝のチャンスがあったが2回とも失敗している。ただ連続ではないが水の江滝子は2勝している。また、ジンクスとしては他にも、女性アナウンサーが総合司会を担当すると必ず紅組が敗れると言うものや、放送年か放送前年に大河ドラマか朝ドラに主演・出演した女優・タレントが紅組司会をすると敗れると言うものがある。ただ、こちらも例外として、86年の大河主演の三田佳子は89年に司会をした際は優勝している。</small>
#<small>第56回については当初は紅白別の司会者は設定せず、上記の4人によるグループ司会で進行すると発表された。ただし実際の放送では仲間由紀恵が紅組歌手、山本耕史が主に白組歌手の曲を中心に司会(エンディング時の優勝旗授与も山本が優勝旗を受け取った)、みのもんたは実質上生放送のすべての進行を統括する総合司会的な役割、山根アナウンサーは進行役的役割という形で役割分担がなされた。上記の表では実質的な役割に従って氏名を記載した。</small>
#<small>総合司会のうち第18回までと、第25回の土門・中江両アナウンサー、第34回のタモリ、第45回の宮川アナウンサーは厳密には「進行役」という名義の下で出演した。</small>
#<small>第56回については、当初は紅白別の司会者は設定せず、上記の4人によるグループ司会で進行すると発表された。ただし実際の放送では仲間由紀恵が紅組歌手、山本耕史が主に白組歌手の曲を中心に司会(エンディング時の優勝旗授与も山本が優勝旗を受け取った)、みのもんたは実質上生放送のすべての進行を統括する総合司会的な役割、山根アナウンサーは進行役的役割という形で役割分担がなされた。上記の表では、実質的な役割に従って氏名を記載した。</small>
 
=== 歴代トリ歌手とその曲目 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center"
{|border="1" cellpadding="2" cellspacing="0"
|-
!bgcolorstyle="background-color:#ccccccC0C0C0" rowspan="2"|開催||bgcolor数!!style="background-color:#ffeeeC0C0C0" rowspan="2"|開催||bgcolor!!style="background-color:#ff7e7e" colspan="2"|紅組トリ||bgcolor!!style="background-color:#ffffffffffffff" colspan="2"|白組トリ
|-
!歌手!!曲目!!歌手!!曲目
|[[第1回NHK紅白歌合戦|第1回]]||[[1951年]]||[[渡辺はま子]](初)||[[桑港のチャイナ街]]||[[藤山一郎]](初)||[[長崎の鐘]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第21回NHK紅白歌合戦|第21回]]||[[19521951年]]||[[渡辺はま子(2)]](初)||[[桑港鳥 (渡辺はま子)|火の鳥チャイナ街]]||[[藤山一郎(2)]](初)||[[オリンピック長崎]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第32回NHK紅白歌合戦|第32回]]||[[19531952年]]<br>1月||[[笠置シヅ渡辺はま]](2)||[[ホームラン・ブギ火の鳥 (渡辺はま子)|火の鳥]]||[[灰田勝彦]]藤山一郎(2)||[[野球小僧オリンピックの歌]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第43回NHK紅白歌合戦|第43回]]||nowrap|[[1953年]]<br>121月||[[淡谷のり笠置シヅ子]](初)(2)||[[アデュムラン・ブギ]]||[[藤山一郎灰田勝彦]](4)(2)||[[丘は花ざかり野球小僧の歌]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第54回NHK紅白歌合戦|第54回]]||1953年<br>12月||[[1954年淡谷のり子]]||渡辺はま子(4)(初)||[[東京の薔薇アデュー]]||[[霧島昇藤山一郎]](3)(4)||[[石狩エレジー丘は花ざかり]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第65回NHK紅白歌合戦|第65回]]||[[19551954年]]||渡辺はま子(4)||[[二葉あき子東京の薔薇]](6)||[[バラのラムバ霧島昇]]||藤山一郎(6)(3)||[[ニコライの鐘石狩エレジー]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第76回NHK紅白歌合戦|第76回]]||[[19561955年]]||[[笠置シヅ二葉あき子]](4)(6)||[[ヘイ・ヘイ・ブギバラのラムバ]]||[[灰田勝彦]](4)藤山一郎(6)||[[白銀ニコライ山小舎で]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第87回NHK紅白歌合戦|第87回]]||[[19571956年]]||[[美空ひばり笠置シヅ子]](2)(4)||[[長崎の蝶々さんヘイ・ヘイ・ブギ]]||[[三橋美智也灰田勝彦]](2)(4)||[[リンゴ花咲く故郷へ白銀の山小舎で]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第98回NHK紅白歌合戦|第98回]]||[[19581957年]]||[[美空ひばり(3)]](2)||[[白いランチで十四ノット長崎の蝶々さん]]||[[三橋美智也(3)]](2)||[[赤い夕陽のリンゴ花咲く故郷]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第109回NHK紅白歌合戦|第109回]]||[[19591958年]]||美空ひばり(4)(3)||[[御存知弁天小僧白いランチで十四ノット]]||[[春日八郎]](5)三橋美智也(3)||[[東京赤い夕陽故郷]](あり)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1110回NHK紅白歌合戦|第1110回]]||[[19601959年]]||美空ひばり(4)||[[島倉千代子御存知弁天小僧]](4)||[[他国の雨春日八郎]]||三橋美智也(5)||[[達者でナ東京の蟻]](あり)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1211回NHK紅白歌合戦|第1211回]]||[[19611960年]]||島倉千代子(5)||[[襟裳岬 (島倉千代子)|襟裳岬]](4)||[[三波春夫他国の雨]](4)||三橋美智也(5)||[[文左たから船達者でナ]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1312回NHK紅白歌合戦|第1312回]]||[[19621961年]]||島倉千代子(6)(5)||[[さよならとさよなら襟裳岬 (島倉千代子)|襟裳岬]]||[[橋美智也(7)波春夫]](4)||[[星屑の街文左たから船]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1413回NHK紅白歌合戦|第1413回]]||[[19631962年]]||美空ひばり(8)島倉千代子(6)||[[哀愁出船さよならとさよなら]]||三波春夫(6)橋美智也(7)||[[佐渡星屑恋唄]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1514回NHK紅白歌合戦|第1514回]]||[[19641963年]]||美空ひばり(9)(8)||[[柔 (美空ひばり)|柔哀愁出船]](やわら)||三波春夫(7)(6)||[[俵星玄蕃佐渡の恋唄]](たわらぼしげんば)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1615回NHK紅白歌合戦|第1615回]]||[[19651964年]]||美空ひばり(10)||柔(9)||[[橋幸夫柔 (美空ひばり)|柔]](6)(やわら)||三波春夫(7)||[[あの娘と僕俵星玄蕃]]<br>スイム・スイム・スイムたわらぼしげんば
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1716回NHK紅白歌合戦|第1716回]]||[[19661965年]]||美空ひばり(11)(10)||柔||[[悲しい酒橋幸夫]]||三波春夫(8)(6)||[[紀伊國屋文左衛門 (三波春夫)|紀伊國屋分左衛門あの娘と僕]]<br>(スイム・スイム・スイム)
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1817回NHK紅白歌合戦|第1817回]]||[[19671966年]]||美空ひばり(12)(11)||[[芸道一代悲しい酒]]||三波春夫(9)(8)||[[赤垣源蔵紀伊國屋文左衛門 (三波春夫)|紀伊國屋分左衛門]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第1918回NHK紅白歌合戦|第1918回]]||[[19681967年]]||美空ひばり(13)(12)||[[熱祷芸道一代]](いのり)||橋幸三波春夫(9)||[[赤い夕陽の三度笠垣源蔵]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2019回NHK紅白歌合戦|第2019回]]||[[19691968年]]||美空ひばり(14)(13)||[[別れてもありがとう熱祷]](いのり)||[[森進一]](2)橋幸夫(9)||[[港町ブルース赤い夕陽の三度笠]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2120回NHK紅白歌合戦|第2120回]]||[[19701969年]]||美空ひばり(15)(14)||[[人生将棋別れてもありがとう]]||[[森進一(3)]](2)||[[銀座の女港町ブルース]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2221回NHK紅白歌合戦|第2221回]]||[[19711970年]]||美空ひばり(16)(15)||[[この道をゆく人生将棋]]||森進一(4)(3)||[[おふくろさん銀座の女]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2322回NHK紅白歌合戦|第2322回]]||[[19721971年]]||美空ひばり(17)(16)||[[ある女道をゆく]]||[[北島三郎]](10)森進一(4)||[[冬の宿おふくろさん]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2423回NHK紅白歌合戦|第2423回]]||[[19731972年]]||[[島倉千代子]]美空ひばり(17)||[[からたち日記ある女の詩]]||[[北島三郎(11)]](10)||[[帰ろかな冬の宿]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2524回NHK紅白歌合戦|第2524回]]||[[19741973年]]||[[島倉千代子(18)]](17)||襟裳岬[[からたち日記]]||森進一(7)北島三郎(11)||[[襟裳岬 (森進一)|襟裳岬帰ろかな]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2625回NHK紅白歌合戦|第2625回]]||[[19751974年]]||島倉千代子(19)(18)||[[悲しみの宿]]襟裳岬||[[五木ひろし]](5)森進一(7)||[[千曲川襟裳岬 (五木ひろし森進一)|千曲川襟裳岬]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2726回NHK紅白歌合戦|第2726回]]||[[19761975年]]||[[都はるみ]](12)島倉千代子(19)||[[悲しみの宿から]]||[[五木ひろし(6)]](5)||[[愛の始発千曲川 (五木ひろし)|千曲川]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2827回NHK紅白歌合戦|第2827回]]||[[19771976年]]||[[八代亜紀都はるみ]](5)(12)||[[おんな港町北の宿から]]||五木ひろし(7)(6)||[[灯りがほしい愛の始発]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第2928回NHK紅白歌合戦|第2928回]]||[[19781977年]]||[[山口百恵八代亜紀]](5)||[[プレイバックPart2おんな港町]]||[[沢田研二]](6)五木ひろし(7)||[[LOVE (抱き灯りがほめた)]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3029回NHK紅白歌合戦|第3029回]]||[[19791978年]]||八代亜紀(7)[[山口百恵]](5)||[[舟唄プレイバックPart2]]||五木ひろし(9)[[沢田研二]](6)||[[おまえとふLOVE (抱きしめい)]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3130回NHK紅白歌合戦|第3130回]]||[[19801979年]]||八代亜紀(8)(7)||[[雨の慕情舟唄]]||五木ひろし(10)(9)||[[おまえとふたりの夜明け]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3231回NHK紅白歌合戦|第3231回]]||[[19811980年]]||[[森昌子]](9)八代亜紀(8)||[[悲しみ本線日本海雨の慕情]]||北島三郎(19)五木ひろし(10)||[[風雪ながれ旅ふたりの夜明け]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3332回NHK紅白歌合戦|第3332回]]||[[19821981年]]||都はるみ(18)[[森昌子]](9)||[[涙の連絡船悲しみ本線日本海]]||森進一(15)北島三郎(19)||[[影を慕いて風雪ながれ旅]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3433回NHK紅白歌合戦|第3433回]]||[[19831982年]]||[[水前寺清子]](19)都はるみ(18)||[[あさくさ物語涙の連絡船]]||[[細川たかし]](9)森進一(15)||[[矢切の渡し (細川たかし)|矢切の渡し影を慕いて]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3534回NHK紅白歌合戦|第3534回]]||[[19841983年]]||都はるみ(20)[[水前寺清子]](19)||[[夫婦坂あさくさ物語]]||森進一(17)[[細川たかし]](9)||[[矢切の渡し (細川たかし)|矢切渡し]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3635回NHK紅白歌合戦|第3635回]]||[[19851984年]]||森昌子(13)都はるみ(20)||[[愛傷歌夫婦坂]]||森進一(18)(17)||[[女もよう北の蛍]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3736回NHK紅白歌合戦|第3736回]]||[[19861985年]]||[[石川さゆり]](9)森昌子(13)||[[天城越え愛傷歌]]||森進一(19)(18)||[[女もよすげの恋]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3837回NHK紅白歌合戦|第3837回]]||[[19871986年]]||[[和田アキ子石川さゆり]](11)(9)||[[抱擁 (和田アキ子)|抱擁天城越え]]||五木ひろし(17)森進一(19)||[[追憶 (五木ひろし)|追憶ゆうすげの恋]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第3938回NHK紅白歌合戦|第3938回]]||[[19881987年]]||[[小林幸和田アキ子]](10)(11)||[[雪椿抱擁 (和田アキ子)|抱擁]]||北島三郎(25)五木ひろし(17)||[[年輪追憶 (北島三郎五木ひろし)|年輪追憶]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4039回NHK紅白歌合戦|第4039回]]||[[19891988年]]||石川さゆり(12)[[小林幸子]](10)||[[風の盆恋唄雪椿]]||北島三郎(26)(25)||[[夜汽車年輪 (北島三郎)|年輪]]
|-
|v[[第4140回NHK紅白歌合戦|第4140回]]||[[19901989年]]||都はるみ(22)石川さゆり(12)||[[千年古都盆恋唄]]||森進一(23)北島三郎(26)||おふくろさん[[夜汽車]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4241回NHK紅白歌合戦|第4241回]]||[[19911990年]]||和田アキ子(15)都はるみ(22)||[[千年鐘を鳴らすのはあなた古都]]||[[谷村新司]](5)森進一(23)||[[昴 (谷村新司)|昴ーすばるー]]おふくろさん
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4342回NHK紅白歌合戦|第4342回]]||[[19921991年]]||和田アキ子(15)||[[由紀さおりあの鐘を鳴らすのはあなた]](13)||[[赤とんぼ谷村新司]](5)||[[どこかへ帰ろう昴 (谷村新司)|昴ーすばるー]]||北島三郎(29)||帰ろかな
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4443回NHK紅白歌合戦|第4443回]]||[[19931992年]]||石川[[由紀(16)]](13)||[[津軽海峡・冬景色赤とんぼ]]~[[どこかへ帰ろう]]||北島三郎(30)(29)||[[まつり (北島三郎)|まつり]]帰ろかな
|-
|v[[第4544回NHK紅白歌合戦|第4544回]]||[[19941993年]]||都はるみ(26)石川さゆり(16)||[[古都逍遥津軽海峡・冬景色]](ことしょうぐう)||五木ひろし(24)北島三郎(30)||[[汽笛まつり (五木ひろし北島三郎)|気笛まつり]]
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4645回NHK紅白歌合戦|第4645回]]||[[19951994年]]||和田アキ子(19)都はるみ(26)||[[もう一度ふたりで歌いたい古都逍遥]](ことしょうぐう)||細川たか五木ひろ(21)(24)||[[望郷じょんがら汽笛 (五木ひろし)|気笛]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4746回NHK紅白歌合戦|第4746回]]||[[19961995年]]||[[坂本冬美]](9)和田アキ子(19)||[[夜桜お七もう一度ふたりで歌いたい]]||北島三郎(33)細川たかし(21)||風雪な[[望郷じょんれ旅ら]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4847回NHK紅白歌合戦|第4847回]]||[[19971996年]]||[[安室奈坂本冬]](3)(9)||[[CAN YOU CELEBRATE?夜桜お七]]||五木ひろし(27)北島三郎(33)||千曲川                            風雪ながれ旅
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第4948回NHK紅白歌合戦|第4948回]]||[[19981997年]]||和田アキ子(22)[[安室奈美恵]](3)||[[今あなたにうたいたいCAN YOU CELEBRATE?]]||五木ひろし(28)(27)||[[酒ひとり]]千曲川                            
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5049回NHK紅白歌合戦|第5049回]]||[[19991998年]]||和田アキ子(23)(22)||あの鐘を鳴らすのは[[今あなたにうたいたい]]||北島三郎(36)五木ひろし(28)||まつ[[酒ひと]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5150回NHK紅白歌合戦|第5150回]]||[[20001999年]]||[[天童よしみ]](5)和田アキ子(23)||[[道頓堀人情]]あの鐘を鳴らすのはあなた||五木ひろし(30)北島三郎(36)||[[山河]]まつり
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5251回NHK紅白歌合戦|第5251回]]||[[20012000年]]||和田アキ子(25)[[天童よしみ]](5)||[[夢 (和田アキ子)|夢道頓堀人情]]||北島三郎(38)五木ひろし(30)||[[山 (北島三郎)|山]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5352回NHK紅白歌合戦|第5352回]]||[[20022001年]]||石川さゆり和田アキ子(25)||天城越え[[夢 (和田アキ子)|夢]]|五木ひろし(32)|北島三郎(38)||[[おふくろの子守唄山 (北島三郎)|山]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5453回NHK紅白歌合戦|第5453回]]||[[20032002年]]||石川さゆり(25)||天童よしみ(8)城越え||[[美五木ひろい昔]]||[[SMAP]](12)(32)||[[世界に一つだけおふくろ子守唄]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5554回NHK紅白歌合戦|第5554回]]||[[20042003年]]||小林幸子(26)|天童よしみ(8)|雪椿||五木ひろ[[美(34)い昔]]||[[アカシア晩歌/雪燃えてSMAP]](12)|雪燃えて|[[世界に一つだけの花]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5655回NHK紅白歌合戦|第5655回]]||[[20052004年]]||天童よしみ(10)小林幸子(26)||[[川の流れのように]]雪椿||SMAP(13)五木ひろし(34)||[[Triangle (SMAP)アカシア晩歌/雪燃えて|Triangle雪燃えて]]
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5756回NHK紅白歌合戦|第5756回]]||[[20062005年]]||天童よしみ(10)||[[川中美幸の流れのように]](19)||SMAP(13)||[[ふたり酒Triangle (SMAP)|Triangle]]||北島三郎(43)||まつり
|-
|style="background-color:#f2f2f2"|[[第5857回NHK紅白歌合戦|第5857回]]||[[20072006年]]||?|[[川中美幸]](19)||[[ふたり酒]]|?|北島三郎(43)||まつり
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|style="background-color:#f2f2f2"|[[第58回NHK紅白歌合戦|第58回]]||[[2007年]]|| || || ||
|}
 
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**[[トニー谷]](1955年・第6回)
*初めて発売前の曲を歌った歌手
**[[シブがき隊]](1985年・第36回)。この年に歌った「スシ食いねェ!」は1986年[[2月1日]]発売。
 
=== 単独記録 ===
455 ⟶ 452行目:
*(同じ組で)同一回に2度出場
**[[沢田研二]](沢田研二、[[ザ・タイガース]])(1989年・第40回)
***2005年・第56回では松浦亜弥がソロおよびDEF.DIVAとして、そのDEF.DIVAの安倍なつみ、後藤真希、[[石川梨華]]がモーニング娘。にも参加して歌っていたが同回は松浦、D.D、娘。が同じコマ内に登場するパッケージでの出場であったため、ここでは参考記録としての紹介とする。なお、2006年・第57回では藤本美貴がGAM→モーニング娘。として同じ形で登場した。
*[[インディーズ]]から出場したJ-POP歌手
**[[Def Tech]](2005年・第56回)
 
<!--その他、ありましたら随時補足願います-->
 
=== 最高記録 ===
ここでは種々の数値的な記録を集める。「最高記録」の名で一括するが、「最年少出場者」など少ないことで記録となっているものも含む。
{{expand|スモーキー・マウンテンの最年少メンバー名}}
*最年少出場者
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*デビューから出場までの期間が最長
**[[ザ・ドリフターズ]](37年3ヶ月)(2001年・第52回)
***複雑な経緯を辿ったグループなのでデビュー時期には諸説あるが、ここではいわゆる「'''お馴染みの5人'''」(いかりや・加藤・仲本・荒井・高木)が揃った[[1964年]]9月時点を基準とする。なお、正式な出場歌手でなければ1969年・第20回に特別ゲスト扱いで出場しており、「秋田音頭」「斎太郎節」「ドリフの[[ズンドコ節]]」を[[メドレー]]で歌っている。
*最多初出場 グループとしての参加など、形式上「初出場」となった回数が最も多い歌手(いずれも3回)
**[[小室哲哉]]([[TM NETWORK]]、[[H Jungle with t]]、[[globe]]・1988年・第39回、1995年・第46回、1996年・第47回)
**[[木梨憲武]]([[とんねるず]]、憲三郎&[[山本譲二|ジョージ山本]]、[[野猿]]・1991年・第42回、1996年・第47回、1999年・第50回)
497 ⟶ 493行目:
**[[松浦亜弥]](松浦亜弥、DEF.DIVA、[[GAM (音楽ユニット)|GAM]]・[[2001年]]・第52回、2005年・第56回、2006年・第57回)
**[[藤本美貴]](藤本美貴、モーニング娘。、GAM・2002年・第53回、2003年・第54回、2006年・第57回)
***後藤と松浦は[[後浦なつみ]]として(2004年・第55回)初出場が決まっていたが[[安倍なつみ]]の出場辞退があったため、最多初出場新記録(4回)は幻となった。
***また1999年の後藤と2003年の藤本において、グループとしてのモーニング娘。自体は初登場ではないが、後藤と藤本の個人記録としてここでは扱うものとする。
*最も多くの歌手によって歌われた曲(いずれも4組)
**『[[津軽じょんから節]]』[[三橋美智也]](1975年・第26回)、[[金沢明子]](1979年・第30回)、[[岸千恵子]](1988年・第39回)、[[香西かおり]](2002年・第53回)
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***2004年・第55回大会に出場が決まっていたが、[[安倍なつみ]]の詩の盗作が発覚し出場を辞退した。この結果、[[後藤真希]]と[[松浦亜弥]]がソロで出場。
*別番組との連携
**2006年・[[第57回NHK紅白歌合戦|第57回]]中断中のニュース枠(21:25~21:30)で[[阿部渉]]アナウンサーが「次はこの歌から始まります」と[[絢香]]の『[[三日月 (絢香)|三日月]]』を紹介。ニュース枠で「引き続き紅白歌合戦をお楽しみ下さい」程度のコメントは多々あるが、曲へつながるコメントを読むのは初めて。また、[[半井小絵]]キャスターによる気象情報が会場のNHKホールから伝えられた。
 
== 同じコンセプトを持つ企画など ==
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== 外部リンク ==
*[http://wwwwww3.nhk.or.jp/kouhaku/index.html NHK紅白歌合戦公式サイト(期間限定開設であることに注意)]
以下は私設サイト
*[http://www1.plala.or.jp/nakaatsu/index.html 紅白歌合戦完全マニュアル] - 視聴率など。
*[http://www.j-area2.com/music/kouhaku/index.html Area 紅白歌合戦]
*[http://www.asahi-net.or.jp/~zf7j-ktwk/redwhite/index.html Red and White Song Festival]
*[http://www.videor.co.jp/data/ratedata/program/01kouhaku.htm NHK総合「紅白歌合戦」] - ビデオリサーチ。1962年(第13回)以降のテレビ視聴率を掲載。
 
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[[Category:NHK紅白歌合戦|*]]