「テオドール・シャセリオー」の版間の差分

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Goregore (会話 | 投稿記録)
en:Théodore Chassériau 2007-12-2 14:29 UTC 著者:82.43.131.180、RedWolf、Pethan、D6、J'raxisほか から翻訳
 
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シャセリオーの初期の円熟味を示す主な作品を挙げると、『スザンナと長老たち』(1839年)、『海から上がるヴィーナス』(1839年)、『アクテオンに驚くディアナ』(1840年)、『ネレイスに岩に鎖で縛られるアンドロメダ』(1840年)、『エステルの化粧』(1841年)などで、どの作品にもシャセリオーが理想とする女性の裸像を見ることができる。同じ時代に描かれた宗教画では、『オリーブ山のキリスト』(1840年。同じテーマで1844年にも描いた)、『キリスト降架』(1842年)があるが、批評家には賛否両論だった。ちなみに、擁護した批評家の中には[[テオフィル・ゴーティエ]]がいた。また、パリのサン・メリ教会からの依頼で、エジプトのマリア '' [[:en:Saint Mary of Egypt|Saint Mary of Egypt]]'' の一生を描いた壁画を描いた。
 
この頃から肖像画も描き出した。『The Order of Predicant Friars<ref>1215年にドミニが設立。[http://www.athelstane.co.uk/emlyholt/welldsrt/wdsrtapx.htm The Well in the Desert by Emily Sarah Holt]参照(英語)。</ref>のドミニク・ラコルデール神父の肖像』(1840年)、 それにシャセリオーの姉妹アデルとアリーヌを描いた『二人姉妹』(1843年)などがある。
 
生涯を通じてデッサンも数多く描いた。肖像画のスケッチの多くは、グラフィック・ペンシルできれいに描かれたそれらはかつての師アングルのものに近いものである。さらに29の版画の元絵を作った。[[シェイクスピア]]の『[[オセロ]]』をテーマにした18のエッチング集([[1844年]])などである。